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教育格差がもたらす十年後(コラム記事)

今回はちょっと危険で踏み込んだ話ではあるが、常々思っていることを書き出してみようと思う。下記のような悲劇のシナリオになって欲しくはないが、しかしその懸念があるのは事実である。

 

参考リンク(墓場ネット)

日本を襲う絶望の余波_日本はどこへ行く

 

子供を産んでいるのはどんな人?

さて、日本は目下下落中であって、浮き上がる手段はない。少子高齢化対策が功を奏し、効果が見込めたとしても、そのメリットを享受出来始めるのも数十年後のことである。現在の日本において、特に危機的に感じるのは少子高齢化と、増税や生活苦を発端とする未来投資の少なさであろう。子供、教育はいわゆる投資であって、これが出来ないことは未来を奪われることに他ならない。

 

子供をなぜ産みたいのか、これには様々な理由があると思う。だが、なぜ産まないのかという疑問への答えとして、その選択肢はいくらか狭まるだろう。その多くはやはり資金難である。自らの生活資金をきちんと確保しようとすると、出産に対して尻込みするしてしまう。金が工面できそうなら産む、そうでなければ産まない。子供を産みたいというのは概ね本能であるが、それを理性が上回るほどに世の情勢はひっ迫している。

 

この問題は、とくに中間層にとって大きな関心事で、キャリアや将来、QOLなども鑑みた結果、いわゆる子無しを選択する可能性も出て来る。そうなると、将来的に上質な労働者の割合が減る可能性がある。上位層の子供は資金も学力もあり、ホワイトカラーや無難な職に就く。汚れ仕事やきつい仕事はしない。そして下位層は、日本が更に貧しくなっていくと、率直に言えばより犯罪に傾きやすくなるのではないかと思う。人の能力を一緒くたには考えられないが、ここまで格差が広がってしまった今、半端な努力だけでは成功を掴むことは難しい。そういう状況で、まともに働こうと思う人が減ってしまうのではないかという危惧が生じる。

 

私は良くも悪くも国を動かすのは多数派の中間層だと思っている。故にここの出生率が下がると国自体に変化が乏しくなり、真新しいことが出てこない。中間層が抜けることで、下位層が中間層になだれ込むかと思われるが、しかしそうはならないだろう。

 

※ここでの上位、中間、下位というのは、概ね家庭内資産や環境によるもので、ひとえに子供の能力では無いことを言及しておく。

 

参考リンク(News week)

今の日本で子を持つことは「ぜいたく」なのか?

 

 

それでも経済活動を回していくと、地獄に突き当たる

中間層の空洞化が発生すると、これまでその層が担っていた数多くの業務が外国人に奪われる可能性もある。そもそも、日本で働いている外国人には当然ながら上位~中間層もおり、それらの教育水準は高い。今後仮に、日本人優遇となっている就労環境が様変わりした場合、グローバル化が進む近年、どちらに軍配が上がるかは想像に容易い。とはいえ、これももう今となっては昔の話である。日本に魅力がなくなった今、働きに来る外国人は激減し、特に今後、これまで様々な形で搾取されていた外国人が、わざわざ日本に働きに来てくれる見込みは少ない。寧ろ日本人は働きに出て行く側になったことを認めなければならない。

 

以後は悪循環が続く。人が居ない、だが経済活動は回さなければならない。サービス、物の質は下がり続け、国際競争から脱落し、日本の価値は下がる。治安は悪化し、人口も減り、そこに国籍問わず様々な者が住み着き、残った住民と軋轢を生む。まともな住民は去り、生産性がないか、寧ろ犯罪の温床になる地域が出て来る。仮にその状態でも移住に光を見出すとしたらどうなるだろう。来ないことはないだろう。だが、どのような層が日本に来るというのだろうか。

 

 

頭脳の流出だけに留まらず

昨今、声高に叫ばれている問題の一つが頭脳流出である。少し前から話題になっているが、各種要因により高位技術者の絶対数が減った今、結果的に日本は知的分野において諸外国に太刀打ちできなくなった。また、流出は知能だけに留まらない。昨今、円安による出稼ぎが話題になっており、日本は肉体労働力さえも失い続けている。実際問題として、給与はすぐには上がらず、仮に上がったとしても増税、物価高で帳消しとなりかねない。出口も入口も、給与所得者に関しては相当に厳しい現実が立ちはだかっている。

 

抜け出せる環境があれば、国からも出て行きたい、そういう考えを持つ者は増えているように思う。ただ、今は生活は苦しくとも、まだ外国より住みやすいのも事実である。だが、これもその内どうなるかは分からない。子を持たず、子孫、土地がどうなどと言っていられない時代、仮に、他国が日本国住民を優遇して移民政策を開始したら、積極的にその可能性を検討する人々もそれなりに居るのではないかと思う。

 

参考リンク(東京新聞web)

海外在住者30年で2倍 経済停滞する日本から中間層「脱出」 成長する東南アジア魅力的に

 

 

弱者とは誰か?

年金問題。少子高齢化で更に顕在化したこの問題は、数十年前からその危険は指摘されていたというのに、結局大きな対策もなされなかった。年金受給額は引き下げられ続け、支払額は増加し続けるという厳しい見通しが、よく取りざたされている。

 

中間層が弱者になりつつあるのに、それらがいつまで援助を続ける層だと見なされる不遇の時代はいつまで続くのか。恐らくこれは、票を持つ高齢者がいなくなるまで変わらない。そして、それは冒頭で述べた通り、数十年以上も先となる。結果的に、中間層は誰にも助けを求められずに疲労し続ける。恐らく扶助制度が大きく変わらない限り、変動はない。更にそれに対する反対の芽は各所で既に育っており、これを切り崩すのは生半可なことではない。

 

 

教育格差がもたらす十年後(コラム記事)~まとめ~

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画像転載元(pixabay

2023年現在、日本はまだ表向きは暮らしやすく、治安も良く、なんだかんだで恵まれた環境であることは事実である。だがそれも既に表面張力にも似た、精一杯に無理をした状態であるかも知れない。現在、日本経済が乗り越えなければならないと言われている2025年問題まであと少し。それまで少しずつ生活は悪化し、逆の見通しは弱い。さて2025年以後、果たして一気に崩れ落ちるのか、それとも踏ん張りつつ徐々に崩れていくのか、それは分からない。分かっているのは大逆転という甘い夢が、そこに入る余地がないだろうということだ。誰もが頑張れば一定水準以上の暮らしが約束される、そのような時代はもう終わってしまったのかも知れない。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

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