どうも、墓場ネットです。最近は長生きの時代と言われていますね。平均寿命は80歳を超え、やはり焦点は年金、老後資金となります。また、健康寿命の概念なども盛んに取り上げられるようになりました。
今回はその辺りについてちょっと考えてみたいと思います。
人生100年時代に立ち向かえるか
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年々伸びていく平均寿命と、加速していく少子化。より人が死ににくく、そして生まれにくい時代となりました。そんな中で、一人の人間がより人間らしく、健康的に生きる為にというテーマがこの「人生100年時代」です。過去、人生80年時代という言葉もありましたが、これは1984年に提言されたもののようです。約40年でかなり寿命が延びたことが伺えますね。
ただ、人生100年と言われて、それを歓迎する人は果たしてどのくらいいるでしょうか。多くの方は目減りする金銭問題、孤独、健康問題などをまず頭に浮かべます。昔のように、きちんと労働世代である時に働いていれば、誰もがその後の人生に手厚いサポート(特に金銭面)が受けられる時代ではありません。むしろそれらは下がり続け、定年は上がり、より高齢となっても働かなければ実現できない言葉となって来ました。
生きる自由と生きない自由
さて、ここで見え隠れするのが死ぬ自由というより、無理に生きない自由。最近はとかく延命治療だとかで、かえってそれが家族を苦しめたり、もしかするとご本人が苦しんでしまっている可能性もあります。私は一応遺書というか、書置きみたいなものを置いていますが、意識がない場合、回復の見込みがない場合などは、無駄な延命や治療は絶対にしないようにという意思を記載しています。
これらの点において、日本、というよりも日本人は他国に大きく遅れているように感じます。ただ、最近は家族への意思確認などが昔よりは意識されているように感じますが、いざという時に家族の方にその判断がつかないばかりに、無難に感じる選択肢である延命・治療を期待することもあります。実際、もしもの時に緊急で決断しなければならないという場合では、取り返しのつかない「死」であるより、まだ選択肢の残る「生」を選択するのはもっともなことです。しかし、その時には以後のことは想像しえないものです。身寄りの方がそれぞれ、こうなったらこうして欲しい、という意思を予め考え、周知しておく必要があります。
参考リンク(FNN オンライン 様)
「死ぬときくらい自由に選ばせて」安楽死宣言をした脚本家・橋田壽賀子の真意
いつまで生きていたいか、欲望との関係
平均寿命が約70~80才として、個人的には長いように感じます。ですが、結婚・出産・子育てなど、次世代のことまで考えたライフスタイルである場合、決してそうとは言えないでしょう。独身者と婚姻者では自由時間の度合いがやはり異なります。
さて、人生に飽きた、やりたいことがなくなった、成長する必要性を感じなくなった、変化がなくなった。これらは将来への展望を暗くします。もし、特に欲がなく、流されるままに生きている場合、恐らく最低限の経験はもう30才までにだいたいのものが終わってしまうのではないでしょうか。ですので、それ以上の平均的な寿命をきちんとした形で向かえるには、何かしらの強い欲を持つ必要があります。
ただ、この点で「死にたくないから」というのと、「身寄りが生きている間は」という括りで生きている方も少なからずいらっしゃるかと思います。考え方が変わったり、身寄りがなくなった場合、ふっと糸が切れたようになってしまうかも知れません。夫婦のうちの一方がなくなった場合には、その後の生存率に違いがあると聞きます。これには実際的な事情も多いかと思いますが、年齢を重ねた場合、男性よりも女性の方が、良い意味で欲があることも関係しているのではないでしょうか。
参考リンク(EL BORDE 様)
30代は何歳まで生きたいと思っているのか。希望寿命と平均寿命のギャップ
死ぬことの煩雑さ
さて、私自身の考えになりますが、やはり介護されたいとは思えないこと、そして既にそこまで欲がないことなどから、もう人生に悔いはないという状態に来ています。ただ、仮に自分が死ぬことを考えると意外と大変なんですよね。天涯孤独となって亡くなった場合、何も考えなければいいのかも知れませんが、やはり事後処理といいますか、その辺をどうしても考えてしまいます。遺品整理や各種契約とか、予め多くの物を処分していたとしても、どうしても生きている間は必要となるものが出て来ます。
それらの処理は他者に協力をお願いするか、いずれにせよ誰かの手によって処理されるしかありません。となると、言い方はあれですが、身寄りのない状態で死ぬと、誰かしらに迷惑を掛けざるを得ません。また、これからの時代、最後は孤独死という形が増えて来ますので、その観点から考えても各種「後始末」は難しいものだと感じます。遺体はなるべく早く見つけるべきだとは思いますが、もし自らの意思が反映されたものである場合(平たく言えば自殺)、下手に救われて後遺症を抱えてしまうと、それは今後の最大の悲劇ともなりかねません。
誕生を祝福され、死没を憂う。あまり関係のない人間の死後処理をするというのは、多くの人が疎うものではないでしょうか。ここには心情や宗教観などではなく、もっと実際的な心情が働いているのかも知れません。自分が大家であった場合の住人、第一発見者となってしまった通りすがり……。まあ正直な所、面倒に巻き込まれたなくらいに考えてしまいますね。
更に一歩進んで生まれ変わりを考える
ちょっとオカルトな話になりますが、生まれ変わりは全世界で言われていることでもあります。一説には死んでから生まれ変わるまで4~5年と言うデータも。
さて、ここで4~5年後に生まれてみたいかというと、どうでしょうね。私もブログでたまに書いていますが、これから先、老人大国である構図は変わり様がなく、日本で生まれるのは辛い気もします。とはいえ一概には言えず、やっぱり日本はなんだかんだで住みやすいとも思います。不思議な感情ですね。
また、この世は修行という言葉もありますよね。今後また考えが変わるかも知れませんが、私は以後の世界には生まれたくないというのが今の思いです。ですので、生まれてしまった場合、腹の中で「なぜ生んだ……」と親を問い詰めるような表情をした可愛げのない赤ん坊になるかも知れません。
参考リンク(ダ・ヴィンチweb 様)
死んでから生まれ変わるまでの期間は平均4年5カ月 「生まれ変わり」の可能性
人生100年時代をどう考えるか~まとめ~
人生も終盤となると、色々と考え方も変わるものです。実際問題として、どれだけ生きるか、いつ死ぬかということを考えることは、ややタブーと言いますか、話し合う機会はあまり無いのではと思います。ですが、どういう形であれ必ず最後は来ますので、個人個人できちんとした考えを持っておくこと、そして可能であればそれを誰かに伝えあっておくことも大事なのではないでしょうか。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。