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昔は良かったですよね(個人的感覚)

どうも墓場ネットです。最近、色々と人生を振り返ることが多くなりました。というより、実際問題として既に成長を辞めて、終わりを見つめる段階になると、将来は見ないものですからね。

 

さて、様々な技術がこれからも登場すると思いますが、私はそれに触れることはあまりないでしょう。正直、少し前まではそのような生き方、考え方に嫌悪感さえ抱いていましたが、こうなってしまうと、全てがどうでもいいんですよね。怠惰なままに生き、目的がなくなったら眠るだけ、そんな意外と心地いいノーガードライフを満喫しています。

 

今回はそんな墓場ネットが考える社会のお話です。

 

 

便利を追い求めることはいいけれど

今の暮らしは当然ですが、昔と比べると非常に楽になりました。昔は家事はもちろん、仕事もとかく不便が多く、何をするにも手間が掛かっていたものです。

 

ただ、例えば仕事ですが、様々なことが楽になったのに、仕事が楽になった、というのはまた違うお話のように感じます。それはもちろん、その効率化によって余った時間により、新たなタスクが生じたことに他なりません。これは他のことでもそうですが、技術によって、それ以前の及第点が引き上げられてしまった結果、「相対的な楽さ」の変化が薄れてしまっているのでしょう。

 

人は成長し続けるもので、欲望に限りはありません。それが為にここまで発展して来れたのですが、果たしてそれで良かったのかと考えることもあります。

 

 

「昔は良かったは嘘」は嘘?

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画像転載元(pixabay

人によって、「良かった昔」というのは違います。一例として、昭和と言っても、昭和30年頃と昭和60年頃では大きく異なります。そして今や平成の初期~中期も昔という括りに入ります。そういう形で、人によって昔の捉え方は様々です。

 

そこで今回、私が言う「昔は良かった」の昔はざっくり昭和後期~平成初期です。

 

「昭和は良かったは嘘」と言っても、どこを取るかでかなり幅があります。恐らくですが、1980年代後半のバブルの頃を悪く言う方は少ないのではないでしょうか。ただ、あまりバブルの恩恵にあずかってない人間としては、逆に損失も恐らくそんなに無かったわけで、1990年代も悪い時代とは思えないのです。懐古趣味と言われればそれまでですが、私は1990年以降の揺れ動いている時代が好きですし、それとなく安定していた1970~80年代などもいいと思います。何より、今よりも断然活気がありました。

 

同時に「複雑ではないメリット」も感じます。時代が進むにつれ、人間関係がほんと面倒になって来ました。今もあるか分かりませんが既読無視とか、いいねシステムとか、SNS疲れとか、私の感覚ですが、この時代に青春期を過ごす方々は大変なのではないでしょうか。

 

そのあたりのコミュニケーションツールは、どんどん陰湿な方向に進んでいるような気がします。私は業務で使うことはありましたが、あまり個人ツールとしてそれらを使うことはなく、正直、面倒さを感じています。人付き合いが好きではないと言えばそれまでではありますが。

 

 

技術の革新度合い

CPUが出て来てからの人類の技術発展は目を見張るものがあり、それまでの数十、数百倍以上の発展具合があるのではと思います。というより、どうやら技術発展は累乗で起こるもののようで、桁がいくつも違う場合も。

 

個人的に、この期間をもう少しゆっくり過ごしてこれなかったかなと感じることはあります。文明病という訳ではありませんが、2000年くらいの技術レベルの、かゆい所に手が届かないで、人の手がどうしても必要になる、くらいの所で、もう少し色々と揉んでいた方が良かったようにも感じます。PCは持ち運びができない、スマホではない、ネットもそれほど普及してない。今からすると確かに不便かも知れないですが、その分をどうにかして小手先でカバーしていたような時代です。

 

それでも、他国との関係性や医療の為に発展は必須ですし、それはもちろん生活へ応用されるべきです。その辺の矛盾はあります。もし、昔の方が良かったと感じ、その頃に戻りたいと感じるのなら、その人が個人の努力で暮らしをダウングレードさせる努力が必要になります。例えばスマホは使わない、古い物(中古品)を買う、昔の暮らしを実践するといったことですね。以前はこのような生き方はかなりマイナーでしたが、最近は以前より市民権を得ている節もありますね。

 

参考リンク(朝日GLOBE+ 様)

加速する技術進歩、懐旧は禁物 その先にあるのは悲劇の未来じゃない

 

 

ただし、人の意識の良し悪しは人それぞれ

「昔は良かった」を語る際には、物質的なことと同じくらい、精神的なこと、つまり人の考え方の変化も考える必要があります。

 

マナーということを考える際、今も昔も様々に悪い点があります。昔はポイ捨てや、性質の悪い悪戯が今よりも頻繁にあったかと思います。一方、現在は誹謗中傷をはじめ、匿名性や防御の手段を持って相手を攻撃するような行為が多くなりました。真正面からの争いごとは少なくなり、水面下で周りが気づかないように行われることが多くなりました。

 

これに関し、どちらがいいかと言われると、それに対する返答は難しいです。人の内面はどうあっても綺麗でばかりはいられません、精神によっても、そして体調によっても変わってしまうものです。しかし、一つだけ言えるのは、現代の方が精神的な疲労が大きくなっているということではないでしょうか。考える対象が細々としてしまい、かつそれらが別々の事柄であることも多く、ふっと、「どうでもいい」と,糸が切れたようになってしまうこともあります。

 

 

人と人との関わりの変化

私はちょっと前まで、お歳暮・お中元や年賀状などの定型的なやり取りは、結局回り回って無駄な労力となるので、無くした方がいいのではないかと思っていました。

 

ですが、これは社会からの孤立を防ぐという意味で、重要な役割を持っているのではないかと考えるようになりました。最近、いわゆる無敵の人という言葉を聞くようになりましたが、昔は誰かしら、もう少し他人と関わりを持って生きていました。他人と半強制的にやり取りをさせられるという意味では横暴にも感じますが、どことなく人情味のある話でもあります。

 

とはいえ、人が人に関心を持ちにくくなったことには利点もあります。例えばヒトカラなどは、かなり昔では目につきやすいものでしたが、今はほとんど気にされないのではないでしょうか。一人で好きなことを好きなだけ出来るようになり、それで浮くことがない社会というのは一つの進化だと思います。

 

 

昔は良かったですよね(個人的感覚)~まとめ~

一般的に、多くの方が自分にとって多感だった時期、もしくは調子が良かった時期を「自分にとって良かった時代」と評するものだと思います。ただ一つ言えるのは、時代が下るにつれ、他人を思いやる心と、自己主張する心との葛藤が、より深くなっているのではないかと感じます。今で言うとLGBTやフェミニズム、後はテレビなどの各種規制などが目につきやすい問題です。

 

それらを避けた結果として、メジャーなものではオリジナリティに溢れるものが少なくなり「万人が知る面白い物」というものが減ってしまいました。昔は一般的だったものが、ややマニアックな領域まで潜らないと見えないようになってしまいました。しかしながら、これも趣味嗜好が更に深化して、ジャンルが広がったことの裏返しでもありますので、一概に悪いことだとは言えません。

 

色々と考えてみましたが、良い点もあり悪い点もあり、一口で多くの事柄を比較することは不可能です。未来において、現在がどのような評価を受けるのかも、一つ一つの事象で語るものではなく、結局は個々人の受け取り方に異なりません。そう考えると、こういう話はやはり同世代や近い環境の人とした方が盛り上がるもので、相手を選んでするのが無難ではないでしょうか。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

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