この国で働きたくないという素直な感情_イメージ画像

この国で働きたくないという素直な感情

タイトルからしてちょっとあれですが、久しぶりにネガティブ面を掘り下げてみます。まず、今はどんな時代かと言うと、日本の将来と検索して、第一に絶望という言葉が共に表示されてしまう時代です。

 

最近は投資などで、若くして資産を形成する方が増えています。そういう方々が仕事を辞めて、主に投資と貯金で、「経済的に自立して生活していく」という生活をfireと呼ぶようです。投資家が日々の利益を積極的に追い求めるのに対して、fireは資産管理に重点を置き、比較的安定性を求めるという点にも違いがあるのでしょうか。特に細かいことまで言及できませんが、とにかく、そういうことを追い求める風潮がここ数年盛り上がりを見せています。

 

ただ、人それぞれではありますが、やはり「働きたくない」という思いが根底にあるのでは、と思います。豊かで忙しい暮らしよりも、不自由ながら気ままな暮らしの方へと人気がシフトしているのでしょう。

 

今回は現在の社会構造と考えて、この辺をのんびり考えてみたいと思います。

 

参考リンク(墓場ネット)

日本を襲う絶望の余波_日本はどこへ行く

 

蔓延する閉塞感

日本は世界トップの超高齢化社会です。高齢者に重点を置いて働かなければならない時代が来て、それは今世紀中ごろまで変わらないでしょう。この点に関しては既に手遅れ、打つ手はないと思われます。社会・個人共に体力を奪われ、活気を無くしてしまった時代で、背伸びをして無理に生きていくことは楽ではありません。

 

活力に満ちていた昭和、平成初期も遥か遠くになりました。今も技術革新は日進月歩で進んでいますが、携帯電話やネット普及のような生活そのものを大きく変えるものはなく、その延長線上で「便利」を追及していくもののように感じます。今はメタバースやNFTが話題ですが、万人受けが難しそうなこと、あとは生活に必須になるかどうか、という点が気になりますが、どこまで行けるか楽しみではありますね。

 

 

閉塞感からの解放を求めて

この国で働きたくないという素直な感情_イメージ画像

imaged by pixabay

 

現在の若者はかわいそう、という言葉が囁かれています。世代間格差により、社会(国)から受けられる恩恵が大きく異ってしまいました。現代で言えば、「高齢者を支える構造から抜け出せない」という表現がわかりやすいですね。これから先、人手不足の影響で各種行政やインフラなども悪化していくと思いますが、今の若者はその悪影響を受ける度合いが大きい世代です。

 

これからの世代の仕事は「高齢者の面倒を見ながら、前時代の尻ぬぐいをしていく」ということ。民主主義の中で、高齢者の方が圧倒的に多い、となるとそれはそういうことでしょう。覆すには高齢者を納得、もしくは屈服させなければなりませんが、それは至難の業です。

 

さて、私の意見としては、好きではない誰かの為(特に高齢男性)に働きたくないというのが正直な思いです。最近、仕事などで外の掃除をする際も、ゴミの半分以上がタバコの吸い殻なんですよね。あとはコーヒーの空き缶など、ほぼ化石男性案件です。全力で不健康へ向かう彼らの健康と生活を、社会全体で支えていかなければならないという矛盾。それでいて未来ある若者に対して自爆したり中傷したり。害悪という他ありません。もちろんそうでない方の方が多数だと信じたいのですが、それでも目立ってしまいます。

 

ただ、私の意見は置いておいても、これら生産性の低い中高年の為に、広い意味で労働成果が搾取される会社員形態であれば、働きたくないと考える若者の考えは当然だと思います。20代が主となって起業した会社の中に、中年男性が社員として入社することは難しいでしょう。それは若者から中年男性に対すNOを突き付けた結果の一つだと思います。

 

 

年齢による価値観の変化

昔、私は金銭面がクリアできても人は働くべきだという考えでしたが、それも完全に消え去りました。働きたい人、働く必要がある人が働く社会でいいと思うのです。私はもう一生懸命に働くことはないでしょう。外国で働く気力、能力があればまだ別ですが、既に終わりが見えている中で下手に苦しむこともないでしょう。日本自体は2030年には今(コロナ禍)よりも悪い事態になっていると思います。

 

最近、若い方の中で増えている不自由で最低限、自分たちだけが満たされていく暮らしを楽しむ、というのもそれらを受けてのことだと思います。毎日好きなことして、のんびり散歩したり体操など好きに体を動かして、生産性という言葉を気にせず生きていく。これも一つには「他人に関わりたくない」ということもあるでしょう。社交性が独り歩きしていたような時代は陰りを見せ、今は個々人の内面での満足を求める時代です。

 

会社でも社会でも、少子高齢化で下がり続ける生産性の責任と後始末を、どうして若者が一心に背負わなければならないのか、とふと考えることもあります。がむしゃらに働いてさえいれば給料が右肩上がりしていたような時代と、生産性を求められ、常に雇用の心配をしておかなければならない時代とでは、やはり不公平感を覚えずにはいられません。

 

 

この国で働きたくないという素直な感情~まとめ~

私はまだそこまで年齢を重ねていませんが、もう一生懸命に働く意思がないという点では、心境、生活的には定年退職後に似た気持ちで毎日を過ごしていると言えるかも知れません。そうなると精神的・考え方の面でも同年代とは異なり、見ているものも違ってきます。

 

昔は定年退職後は時間もお金もあり、それなりに体力もある(60才~65才)方の比率が、今よりも高かったのではないでしょうか。これから先は更に年金も下がり、定年年齢は上がり、年金暮らしになった時には、健康上の不安を抱えた方の割合が増えてくるのではないかと思います。その分のツケはどこに来るのかというと、それはもちろん現役世代です。少子高齢化が収まるのはいつかというと、2022年以降も高齢化率は上がり続け、2065年で38.4%となります。もちろんそこで解決でもなく、ようやくピークを迎える、というだけの話です。

 

参考リンク(内閣府)

第1章 高齢化の状況(第1節 1)

 

その後も長丁場が続き、その間、ずっと現役世代が高齢化社会を支え続けていくことになります。働かなければ生きていけない。ならば働きたくなければどうするか。答えのない問いに対して、試行錯誤の元、これからも様々な生き方が出てくるでしょう。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

スポンサードリンク