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サ終ゲーム記事(モンパレ)を再編集して感じたこと

今は昔、世の中にはドラゴンクエストモンスターズパレードというオンラインゲームがありました。考えると、努力して探せば見つかる可能性がある昔のコンシューマーゲームと違い、二度と出来ないゲームはどこか儚げなイメージを持ちますね。

 

今回、諸事情あって一時は非公開としていた記事を改めて編集、再アップしました。そこで感じたことをだらだらと記載していきたいと思います。

 

参考リンク(墓場ネット)

モンパレ(カテゴリ)

 

どういう記事だったのか

2017年~2018年頃に書いて、その時は通常通りアップしていたのですが、ブログのテンプレートの変更、および記事スタイルの変更に伴い、非公開としていました。再編集する時間もあんまりなく、時期的な(たしかサ終前後?)ものもあり、非公開で放置でいいかなと思った次第です。終わったゲームの攻略記事を見る人がいるか、そしてそれを時間かけて再編集する必要があるか、という問題です。

 

ただ最近、ふとゲームに関して色々と考えることがあり、その拍子にモンパレを思い出しました。そこで、改めてモンパレを考えてみることに。

 

唯一、最後の記事だけは編集して公開していたのですが、そちらはゲームが終了してからもちょくちょくアクセスがありました。稀にですが、私も終了した他のゲーム記事を見に行くこともあります。冒頭にも書いたのですが、例えどんなゲームだったとしても、もう二度と出来ないゲーム、と考えると寂しくなってしまいますよね。そういう意味もあり、もうプレイすることは出来ないゲームでもこういうゲームがあったという記録、そして記憶の為にも、公開していてもいいのではと思い立ちました。

 

 

再編集していて感じたこと

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image by pixabay

モンパレはモンスターを育成する育成型ゲームです。どちらかと言うと課金額より運の要素が大きく、また、対戦要素もあるのですが、直接戦うものでなくオート戦闘です。他、競争があるとしてもイベント時でのランキング形式でした。そういう意味では、他のプレイヤーとの交流、関わりが無いシングルプレイと言ってもいいでしょう。一応ギルド(?)のようなものがあったように思いますが、パラメータ類に関するものだけで、交流としての機能はほぼありませんでした。

 

そして比較的魅力的なイベントが多いこと、競争心の煽りがストレスを感じない適度な範囲であること、微・無課金でも自身にあった強さを求めて楽しめることも魅力でした。

 

ただ一つ、時期に遅れてゲームを開始した場合、なかなか急激な強化をすることが難しかったのではないかと思います。そういう点で良くも悪くもマイルドですね。もちろん、後半になるにつれ少しずつインフレが出て来ましたが、それでも長くプレイしてイベント報酬を蓄えて強化していくのが、強化への王道だったように思います。

 

私ば、どちらかといえば放置していた期間の方が長いですが、それでも気分次第ですぐに再開できるのは気楽でいいですね。このゲームでは、最終的に3か月程度に一回開催される「異界の門」という超ハードステージの攻略を目標としていたプレイヤーが多いと思います。そして、本当にいい塩梅といいましょうか、私も自身の戦力とこのイベントのLv7(Lv8までありますが私は難しく)との相性がすこぶる良く、毎回毎回かなりの準備、努力をしてクリアしていました。

 

その過程がブログ記事に記載されているのですが、改めて見ていると、2年前、3年前でも内容やその時の気持ちなども覚えていて、ひどく懐かしい気持ちになりました。ほぼ毎週何らかのイベントが開催され、常設イベントもあり、その強化の先に「異界攻略」がある、という具合でしょうか。バトルスタジアムで疑似対人を楽しむもよし、各種イベントランキングで争うもよし、と、あまり時間に縛られないものでもありました。

 

最終的な感想としては、微課金の私的には頗る良いゲームだったなと思います。サービス中にもっと私にプレイ時間、整ったゲーム環境があったならもっと楽しめたのではないかと、その点は悔しい気持ちもあります。

 

 

ゲームの苦楽とは

主にソシャゲなどでですが、ゲームが苦痛、義務になるという話を聞くようになりました。家庭用ゲームだけの時代ではほぼ聞かなかった言葉ですよね。競争にお金と時間の要素が加わり、比重が増していくに従い、その二つが制約となって徐々に蝕んでいく症状です。

 

オンラインゲームで勝つ(成功)と嬉しい、負ける(失敗)と悔しい、その感情は誰にでもあると思います。ただ、それらの結果に対して、お金や時間以外で何が出来るのか、そこに選択肢があることがゲームの出来を大きく分けるのではないでしょうか。

 

例えばモンパレですと、過去の私はよく考え、限られた中で対策して、苦労して攻略していました。ああでもないこうでもない、それならこれはどうかと試行錯誤し、その努力が実ったことを喜んでいる様がありありと見えました。

 

その手段としては「出来る出来ない」こそありますが、他人を参考にしながら、同じにすることはできず、自分流にいくらかアレンジして強化に励むことです。その限られた中での工夫の過程こそが楽しみであり、自分なりのアプローチでプレイすることが可能となるのです。仮に、その可能性を課金、長時間プレイで容易に作り出せるものだとしたら、作業性が高くなり、時に疲弊することも大きくなるでしょう。それだから、成功した場合は自分の選択の正しさが証明されたようなもので、それは他者との競争によって得た快楽ではなく、言わば自身の努力によって得たものに近いです。

 

ただ、それは私の意見であって、お金を出すだけ出すから、とにかく自分が優位にプレイしたいという方もいます。金銭消費によるストレス発散効果に加え、他者への優越感を得る為にゲームをするのも立派な動機だと思います。

 

そう考えると、何が正しいということではなく、各々のプレイスタイルに合ったものをやらないと、逆にストレスが溜まりかねないものになります。また、同じゲームをしていても一緒にプレイするメンバーに温度差があってもたまに辛いものになります。人と交流する際にはそれらの点まで含めて考える必要も出て来ますね。

 

 

サ終ゲーム記事(モンパレ)を再編集して感じたこと~まとめ~

今回の記事をまとめますと、「万人に絶対的に受ける」ゲームはかなり少なく、それぞれのスタイルで楽しむしかない、ということになりそうです。私はそこまでゲームにお金を使うことは出来ません。ですが、課金効率・時間効率といったものを、あれこれ細かく考えながらプレイすることは好きですので、その点でモンパレは合っていたのでしょう。

 

また、仮に気持ちが入らないと、悪くするとゲームはただの作業になります。ただ、その作業にも様々な選択肢が出てくればそれぞれで違ったものにもなりますし、ストーリー性があればまたそれを楽しむこともできます。ジャンル、ゲームシステムなど様々な要因を踏まえた上で「楽しい、楽しくない」を判断し、その中で「自分にあったもの」をやるようにしないと、本来楽しむべきものが苦痛となってしまうようになりました。

 

ただ、運営側も収益が必要ですので、課金者側のアドバンテージという意味を与えるという意味で、やはり課金額による一種のヒエラルキーが形成されないと、そのゲームは出来が悪いということにもなります。数多くのゲームがありながら、昨今はユーザーの減少が取り沙汰されていましたが、コロナの影響もあり、まだまだ伸びる勢いを見せています。特にゲーム機を必要としないスマホゲームは更に進化し続けるでしょう。ゲームは楽しいものですが、苦痛とならない範囲で楽しんでいきたいものですね。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

 

参考リンク
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