ぶらりとネットをしていると、どこもかしこも広告ばかりになって来たなあと思うことがあります。私はあまり動画は見ないので、テキストベースで見ていますが、こちらも動画系の広告など含め、随分と増えてきたと感じる次第です。
さて、そんな中でふと気になった「青天を衝けを見てはいけない」という経営科学出版の広告。毎度強めのワードで攻めているようですが、番組名で攻めるのはあまり例がないのではないでしょうか。という訳で、気になりつつ今までスルーしていましたが、簡単に調べてみました。
流れと結論
何はともあれ、広告先を見てみました。
参考リンク(経営科学出版)
さて、簡単に言うと、「青天を衝け」などの歴史系の大河ドラマは、だいたいがフィクションであるが、史実のように捉えられている節がある。そこで、間違った知識が世間に広がっているので、見てはいけないのだ、という主張が見え隠れします。
大河ドラマというと、司馬遼太郎を想起する方も多いと思いますが、司馬遼太郎が史実に沿った作品ではなく、脚色し、時には人物のイメージを変えているのは小説として当然です。ですが、それをあたかも史実のように思わせ、創作ではないと思わせる魅力があります。もちろん、これは技量が高いということであり、全く悪い事ではありません。
そういう訳で、この点を切り口として、広告先の経営科学出版では、日本人は騙されているので見てはだめだ、という方向へ持って行っているです。
「明治維新の大嘘」がなんと550円!
さて、とはいえ広告を打ったからには次のアクションが必要になりますね。リンク先を下まで辿っていくと、本の広告が目につきます。
そこで、見出しの内容ですが、格安でこの本が手に入るとのことです。そしてなんとその本、Amazonなどでは2000円前後で取引されています。つまり、550円で手に入りますので、差額を取れば……という思いが頭を過ぎります。ですが、その登録(購入)の過程で、どうやらクレジットカードを使って月会員になってしまう可能性があるような気がします。メールアドレスの登録が必要なので、それ以上のものは見ていませんが、うっかり解約忘れなどが生じる可能性もありますね。
もっとも、普通に営業目的もあるでしょう。
広告費はどのくらい?
さて、このダイレクト出版による歴史関連の広告ですが、どうやらかなりの頻度で長期間出ている模様です。それを調べている間にも新しいものを見つけてしまった始末。
参考リンク(経営科学出版)
さて、大昔に私も経験の一つとして、広告を出してみたことがあります。私はリスティング広告でしたので、キーワードや競合などとの兼ね合いで料金が決まります。
その時は一クリック(流入)で50~100円くらいだったように思います。広告にも様々なものがありますので一概には言えませんが、かなりの額になるのではないでしょうか。
情報過多社会を考える
画像転載元(pixabay)
一昔前は、人の目に付く文章はきちんと裏付けが取れていたり、ある程度は質がいいものが多かったように感じます。それは今でも、雑誌や新聞など、有料のものは守られています。
ただ、そちらの紙媒体の需要も減り、次第にオンラインへ移行しています。そしてオンラインでは各種の情報が飛び交い、時に主観や個人の意見も入って来ますので、大事な情報は、いくつかのサイトを見比べて真偽を確かめる必要が出て来ます。
本来ならば、先のような情報リテラシーを誰もが持つべきなのですが、手間だったり環境だったり、誰しもがしている訳ではありません。結果、各種のデマの発生に繋がったり、Web上にリライトされた記事ばかりが溢れ、徐々に情報が変質してしまう可能性もあります。
発信方法が多様化したことにより、多種多様な人々が意見を自由に発信できることはメリットの一つですが、情報が溢れ、二重三重となってしまうことにも繋がります。その情報、ついさっき別のサイトで全く同じものを見た、という感じですね。AはBである、というのと、BはAであるという全く同じ結論の文章が、あたかも二種類の文章になり、そこにC以降が入れば更に分岐が広がり、それだけ情報が増えていくのです。同じものがいくつにも膨れ上がり、欲しい情報が手に入りにくくなります。
情報化社会とは情報に大きな価値が置かれる社会ですが、それとは逆の流れが生じているのかも知れません。もっとも、それだけ「真実の情報」の価値が相対的に上昇していくことは、何とも皮肉ではあります。
晴天を衝けは見てはいけないのか~情報の大切さ~まとめ~
グローバリズムの裏で、かえって愛国心が高められることがあります。国家、国民としてのアイデンティティというものが、諸外国との間で発生する問題を乗り越える度、一昔前よりも身近な範囲で取り沙汰されることが多くなって来たのかな、と思います。
戦後は日本国民として一丸となることができましたが、繁栄の後にその意識は幾分か薄れてしまいました。ですが再び各種分野における各種危機を前にして、再び日本人としての感覚を呼び起こすことになるでしょうか。
さて、ちょっと視点を変えまして、2021年、2022年、2023年問題と、各年代に問題が山積しているようです。とりわけ大きなものは2025年問題、日本にとって厳しい時代が続きます。今や五年後はどうなっているのか、変化の早い時代で全く予想が付きません。それを楽しめるか苦しめられるのか、姿勢一つで生き方も変えられるかも知れませんね。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。
参考リンク(墓場ネット)