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コロナを機に生活レベルの向上を(コラム記事)

コロナウイルスのワクチン接種が始まり、少しずつ世の中が明るくなっていくように感じるが、コロナの最終的な終息の見通しはまだ厳しい。再感染の恐れに加え、変異を続けながらウイルス自体は生きていくだろうと思われる。

 

そういう状況の中で、生活が一変した人も多い。そして、その生活が戻るのならいいが、戻ることがない場合もある。それはある意味でウイルスによって齎された人類の進化であって、わざわざ前時代に戻る必要もないというも言える。

 

自粛が苦になる人、ならない人

これまで経験したことのない自粛が訪れた。今までに経験した災害後の自粛とは違って相当の長期間であり、そして制限も多い。

 

ただ、むしろ自粛ムードの方がありがたいという人もいるかもしれない。買い物も楽だし、往来も楽である。ただ、これはやはり金銭面での影響も大きく、生活が厳しいという場合は死活問題ともなる。そして、単純に引きこもれない人にとって辛いものだと思う。だが、これを機にそういう方は生活の見直しを考えるのはいかがだろうか。既に人と人とが直接会って事を進める、というものは縮小しきっているし、その傾向はこれからも続く。

 

ビジネスでも対面→電話→メール→チャットと変化し、今はネットで完結というサービスも多い。また、家でできることというのは、どちらかと言うと創造性を刺激したり、広く何かを考えるという点で頭を使うことも多く、その方面を強化することは人生そのものにとって良いことではなかろうか。特にこれからの人生100年時代、頭がしっかりしているに越したことはない。

 

 

「コロナを認めない」は幼児退行性か

心理学で退行という行為がある。苦しいことに対面した時、現実を処理することができず、いわば黙殺してしまうようなことである。子供が泣きわめいて事を済ませようとしたり、注目を引いたりということである。

 

既にコロナは広がり、実際に死者も多く出ている。日本ではやや被害が少ないが、世界では猛威をふるい続けている。だが、その中でも「コロナを認めない」という層はどんな環境でも一定数存在し、自粛は不要、マスクは不要、コロナは陰謀などと未だに叫んでいる。思うにこれは退行に近いのではないだろうか。目や耳を塞いで嫌な事態をやり過ごして来たような、いわゆる甘えん坊的な考えに他ならないと言えないだろうか。

 

心理学の防衛機制によると「退行」は下層に位置する。成熟した防衛反応、つまり上位とされるものは忍耐、抑制あたりだろうか。社会的、人間的に立派な人間はほぼこれらで対応しており、また一部はそれをビジネスチャンスや自己の成長チャンスに当てている。それらを分かつのが遺伝的なものか後天的なものかは分からない。だがどちらがより上位であるかは一目瞭然である。

 

参考リンク

 

 

伸びる業種、落ちていく業種

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画像転載元(pixabay)

コロナ禍で大きく疲弊した企業・分野はいわば娯楽産業や装飾産業など、直接に生存そのものに関わらない部分であるものが多い。誰もが生活に厳しい時代であり、そういうものがまず後退していくのは当然の流れではある。

 

そして次に外食産業が不況となった。これは自粛要請などが原因でもあるが、もう少し踏み込んで考える必要もある。まず、外食は割高であって、そして食事そのものではなく、そこで誰かと時間や食事を共有する、ということが重視される事もある。

 

つまり、これも見方を変えれば娯楽であって、事は自粛のみで済む問題でもない。人口が減少していく中であって、現役世代の負担は増すばかりである。そしてそれぞれが消費できる金額(サービス)も次第に生存を主な目的としたものに移っていく。そうなると酒類の提供を主とした業種の持つ利益源は自然と減少するのではないか。外食するよりは家で自炊するか、それか総菜やらを買った方が割安であることは周知の通り。昼食に関してもひと昔前よりは弁当の持参だったり、持ち込みの比率も増えている。

 

飲食はこれまで参入しやすい分野であると同時に、廃業率も高かった。コロナによってそのバランスに何かしらの変動が起きることがないとも言えない。今の生活が変わることはもちろん、数年先のスケジュールも組みなおす必要があるし、学生によっては勉強内容さえ変えていく必要もあるだろう。

 

一生涯安定するものが減り、非常に流動性の高い社会となった。変化に対応できなければ沈んでいくばかりである。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

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