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コロナはどれだけ恐れても足りることはない(コラム記事)

さて、コロナウイルスが年始年末と猛威を振るっている。2020年の最後に一気に伸びて、そして年明けの6日、7日に更に伸びた。恐らくだが2月か3月まで、大きく減少させることは難しいのではと思う。他人が触れたものを恐れ、会話を恐れ、そしてそういう不安な心がまた抵抗力に影響するとしたら、つくづく悪循環ばかりの世知辛い世の中となった。

 

参考リンク(墓場ネット)

新型コロナウイルス目線で考える戦略(コラム記事)

 

コロナの恐ろしい戦略性

何が恐ろしいか、まずはこれだけ恐ろしい病気なのに、割合的に無症状が多いであるということで、これが為に警戒が遅れ、そして薄れてしまうことだ。

 

思い返すに、無症状という症例の病気は他に何かあっただろうか。例えば人の痛覚は異常を知らせる為に必要なものであって、もしも痛覚が存在しなければ、人はどこまでも無理をして取り返しのつかないことになってしまうかも知れない。無症状もこれと同じようなもので、体の中で知らぬ間に病が進行しているかも知れず、不調が出た時には既に進行していた後、ということもありうる。

 

似た話でいえば、いきなりエイズという言葉が浮かぶ。エイズもHIVに感染してしばらくは症状が出ないことが多いらしい。そして症状が出た時にはかなり危険な段階だ。また、ガンでも同じことが言えるかも知れない。異常を感知することができないというのは危険である。早期に発見することができれば対処法は選べるかも知れないが、遅いと打てる手は限られてしまう。

 

 

本当に怖いのは後遺症かも知れない

さて、いきなり見出しとは異なるが、やはり何より怖いのは死ぬことだ。死亡率は当初より5%程度であると言われているが、これはあくまで医療が正常に行われている時の数字であるからして、既に医療崩壊が局地的に起きている現在以後、その数字がどう変化するかは分からない。

 

そして、後遺症である。これはまだ完全に解明されておらず、ともすると長きに渡って症状不明、いわゆる不定愁訴となるかも知れない。つまり、はたから見るとその症状が分からず、本人がどれだけ訴えても仮病と見られる危険性すらある。科学的に証明できないとしたら、各種の保険や手当が使用できるかも分からない。加えて、果たして後遺症がいつまで続くか分からず、完治するかさえ分からず、そして緩和法さえ、いつ見つかるか分からないかも知れない。

 

「無症状で回復した」という話に安心し、コロナを恐れないことは大きな間違いである。ほんの僅かな気のゆるみで、例えば若者であれば残りの50年間程度、匂い・味覚を感じにくいまま過ごすことを余儀なくされるかも知れない。唐突に若くして薄毛になるかも知れない。解決不可能なまま、毎日を不調で過ごすかも知れない。

 

これだけの不安の見通しがあって、それで恐れない、という感覚は非難を通り越して呆れるばかりだ。それは「長年に渡って味覚がなくなる」という伝染性の病がすぐ身近に迫っているとして、それを恐れないのと同義である。

 

参考リンク(日経メディカル)

長期的視野で「ポストコロナ症候群」に備えよ!

 

 

単純な呆れと失望

コロナはどれだけ恐れても足りることはない(コラム記事)_イメージ画像

画像転載元(pixabay

既に昔の生活が失われて久しく、コロナウイルスは種類的に風邪の一種と言われており、これを根絶するのは非常に難しいのではないか、とは素人でも考える所である(実際には分からないが)。風邪の特効薬を作ったらノーベル賞、という話は幼い頃から聞く話だが、果たしてその見通しはどうなっているのだろう。

 

コロナは変異するし、ウイルスの進化速度は人間のそれとは段違いである。数百、数千万の感染を繰り返している中で、変異の原因の一つである遺伝子のミスコピーが起きないはずがない。既に凶悪な変異種が数種見つかる事態となっており、ワクチンの有効性も危ぶまれている。

 

ただ、変異種に対する新たなワクチンの製造は新規に作成するよりもかなり早いとのことではあるが、変異が起きるたびに新たなワクチンを打つ必要が出るとしたら、それはそれで楽なことではない。

 

 

迫る医療崩壊

数日前に医療分野への学徒動員が話題になった。医療崩壊に至る道筋は様々だが、その一つ、人員不足がすでに危険なレベルにあるのだろう。まだ2021年の1月が始まったばかりである。緊急事態宣言でどのくらい変わるか分からないが、今の時点でこの状態なのだから、いずれにせよ医療は今以上に厳しい水準へと移行する。

 

その中で個人にできることは、なるべく病院に掛からないことであり、医療の負担を柔られげることであるが、それを全ての者が念頭に置いて行動するようなことは難しいだろう。今のこの事態でさえ、コロナは他人事で、自分はかからない、と思っている人はまだまだ多く存在する。それを改めさせる注意喚起の動画が流れ、多くの人が熱心にそれを叫んでいるのに、いつまでもどこ吹く風である。特にこれをリーダーたる者たちがそうなのだから、これでは緊急事態宣言が発令された所で民衆の気持ちが変化するはずがない。

 

 

コロナはどれだけ恐れても足りることはない(コラム記事)~まとめ~

人間の敵は愚かな人間であり、敵は味方の中にいたということにならないよう、誰もが同じ危機感を持ち、良識のある行動を取る必要がある。菌・ウイルスはある意味で人類みんなが共有しているとも言える。

 

コロナが、人類がより成熟した段階で現れたとしても、やはり同じように猛威を振るうだろうとは何となく想像できる。仮に、誰もが思いやりを第一に行動し、利他的思考でどこまで行動するのならば話は別だろうが、そんなことが出来るはずはなく、誰もが利己的・利他的の間でバランスが落ち着く所で行動している。そしてそのバランスが決して統一されることはない。

 

これをどうしようということも出来ず、いつの時代もそれなりに場当たり的に対処するしかないことが出てくる。最終的にどうなるかは、今の段階では何も分からない。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

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