近年、働き方改革ということで、社会的に大きな変化が起きている。だがそれでも変えられないもの、変わらないものなども溢れている。コロナ禍でもあり、そして少子高齢化という問題も抱えた状態で、先行きは暗い中であるが、今回は女性と社会進出という観点から考えてみようと思う。
なお、当記事についてはこちらのコラム記事が長くなったので分割したものである。
参考リンク(墓場ネット)
社会進出の女性を阻むもの
女性の社会進出は喜ばしいもので、それはグローバルの流れにも合致したものである。だが、日本はいささか事情が異なるようにも思う。日本は昔から男性、特に高齢男性が幅を利かせ、思うように進んでいない実情がある。また、特に日本では多くの企業で男性がトップ、経営層であり、そして責任者であることも旧態依然として存在する。今は少しずつ変化しているが、それでもまだそういう層の年齢層は高く、これらの企業ではなかなか女性が上に行くのは難しい所がある。何より、女性が昇進の道を望まないという事実があり、男性が社会的に優位であることに拍車を掛けている。
長く続いて来た慣習を変える難しさ
転載元(pixabay)
さて過去を見てみると、女性は長く男性に養われてきた。歴史的に見れば、変化が起きてから、これまでの1割も時間が経過していないのではないだろうか。今では当たり前となったパート勤務なども、一昔前(昭和中期)までは比較的、少なかったようなイメージがある。そして、その後に間を置かずして訪れた共働きの時代。ここがいかにも急であり、専業主婦が当たり前だった時代を目の当たりにしている世代が近いこともあり、その二つが簡単に比較されるようになってしまった。
男は一般に働くのが必須であるが、しかし女性はいわば任意的、という認識が心のどこかにあると、どうしても働きたくい人間も出てきてしまう。逆の立場であれば、もちろん男性だって働きたくないし、養われるものなら養われたい人も多い。
今は昔と違い、趣味もだが、各種の分野でアマチュアながらプロに近い形で活躍することもできる。仮に無職という肩書でも、その実質が分からない者も多い。また、そういう道であれば自らを情けないと思うこともなく、そして生きがいに迷うこともない。
一方で、女性の無職というのは家事見習いとも言われ、仮に未婚であってもほとんど問題視されない。また、そこそこ稼ぎのある男でも捕まえていれば生活はできるし、いざとなれば体も売れる。そういう意味で、やはり労働ということが「必須」であると捉えられることは、依然として少ないのではないだろうか。ただ、もちろんそれが基本的に年齢を重ねると難しくなること、そしてこれから先は男性の給与の問題もあり、絶対数も少なくなっていくだろうことを付記しておく。
女性間で起きる二極化
これから先、女性の中での格差はさらに大きくなる。女性の中でもきちんとした基盤の中で起業し、軌道に乗せている方も多いが、しかし多くの女性がやはり一社員として働いていることが多い。それも先のように次第に不安定となってしまうこともあり、男性よりも年齢による変化も大きい。
対人で働くのは正直、しんどい所が大きいが、その割に薄給であることが多い。社会的に本当に必要な仕事は給料が安いということはデータでたびたび指摘されている。この点からも前線に出ることの多い女性が安定して生活していくことは、やはりなかなか楽にはならないだろう。
女性系企業ということで、働く者の多くが女性という所があるが、これからはそういう企業がもっと注目されるかも知れない。これらは女性にとっては働きやすいものだと思うが、しかし経営能力に関して真価が問われるのもこれからである。
参考リンク(東洋経済ONLINE)
男女の働き方はどう変わったか(コラム記事)~まとめ~
日本社会自体がこれから先、どんどん厳しい方向へ向かっていくものと予想される。既にGDPも下落し、もはや名の知れた先進国ではなく、相対的な豊かさは各国に比べて非常に低い水準である。
どこかに突破口はあるが、それでもそこを誰もが、そしてみんなで一緒に通り抜けることはできない。いざという時、誰も頼りにできないような時代はすぐそこまで来ている。少子高齢化も2000年頃には話に出ていたが、ご存じの通り、有効的な手は打た(て)れなかった。今は社会保障の危機が取りざたされている。これは一体どうなるだろう。
少し先を見通して考えるべきだ、ということも出来ない。とにかく社会自体の進みが早く、いつ予測ができない事態が発生するのか分からない。言えることは一つ、数々の不安の始まりは、今はまだ始まりでしかないということだ。
以上、最後までお読み頂きありがとうございました。当記事が何らかの参考になれば幸いです。