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奴隷制度とサラリーマンを考えてみる

奴隷というと日本人はあまり馴染み深いものではありませんね。あくまで歴史の勉強の中で学習したものであり、日常の生活ではあまり感じるものではありません。とはいえ、昔から社畜という言葉があるように、サラリーマンを現代社会の奴隷とするスラッグは以前から存在しています。今回はその件を簡単に考えてみたいと思います。

 

ただ、最初に結論を書いておきますが、これらは全く違うもので、どう考えてもサラリーマンに軍配が上がります。

 

現代にも存在する奴隷制度

まず初めに、今も世界には多くの奴隷制度が存在します。

 

参考リンク(HAFF POST)

「現代の奴隷」世界に約4600万人--3分の2はアジア太平洋地域、日本は25位にランクイン。

 

また、奴隷という括りでなくとも、それに近い状態で自由を抑制されている方もいるようです。詳しい定義は分かりませんが、奴隷制度と切り離せない人身売買や強制労働など、奴隷と言う言葉ではないものの、そこまで対象を広げれば、近い意味の言葉として感じることができます。日常の生活を送っていて、それらを目の当たりにすることはほとんどありません。そういう点で我々の環境は恵まれていると言えるでしょう。

 

 

サラリーマンと奴隷制度の自由度

ここからサラリーマンの奴隷とを考えてみます。

 

自由度において大きく違うのは日常生活の自由があることですね、何を食べてどこに住むか、誰と交流するのか、そういうことには特にサラリーマンに大きな制約はありません。また、仕事においても自由があり、更に以前と比べて世間的に転職の敷居が下がりました。この点においても嫌な仕事であれば抜け出すこともできるでしょう。

 

この二点の違いは大きいです。労働環境も改善されており、一昔前ほどブラック企業も多くありません。誰もがやりたい仕事をできるか、そして業種に就けるかというとそれは実力主義ですのでイエスとは言えませんが、ノーと言う権利は認められています

 

今も昔も過労死が叫ばれていますが、辞職という道もありますし、そういう業種は、健康でさえあれば、比較的他の人でも仕事が回ることが多いです。同じ苦しむのなら転職活動に苦しんだ方が有意義ではないでしょうか。

 

奴隷から抜け出すには、他の方に頼ることもできず、体一つで逃げるしかありません。捕まったら殺される危険もあります。また、知識の補充さえも難しい環境ですので、計画の見通しさえ立てられない可能性もあります。あとは一生奴隷なのか、という点でも大いに違いますね。能力・功績次第で大きく立場を変えられるというのは、勤め人にとっては大きな違いです。

 

 

待遇

このあたりは話が分かれて来ます。噂によると昔の奴隷の我々が考えているより良かった所もあるとか。そもそも大事な労働力であり、今でいう労働者と変わらない水準の能力がある方も奴隷とされていたので、その点は我々の想像する奴隷という概念とは違うものだったように思います。

 

一方で現代社会。近年は長時間労働、そしてそれに見合った給料が支払われないこともあります。また、時に社会情勢や社内情勢でリストラの対象になったり、最近は会社の若返りということで、その対象年齢もかなり引き下げられているところもあります。サラリーマンという立場上、先を見て行動していかなければ、いざという時に誰でも路頭に迷う可能性があるのです。

 

この点でいくと、奴隷は労働時間と待遇(生活の保護)は最低限ではありますが安定しているように思えますが、それでも自己決定権が少なく、状況を選べないという点ではかなり辛いですね。もし主人が破産するような事態であれば、別の主人に売られるだけで、そちらでも生きていくことは出来るかも知れませんが、結局のところ先々は分からない不安は続きます。

 

 

将来性

最近、アルスラーン物語(漫画)を読んだのですが、奴隷制度に関して考えさせられる言葉がありました。奴隷は奴隷であって、能力がなければ、その立場から抜け出せる環境があっても抜け出して生活していくことが出来ない、ということです。

 

これは現代にも当てはまりますね。単純な肉体労働に熟練していたとして、加齢による年齢の衰えや何かしら働けない事情が出ると、同じような職場にはもう復職することはできません。肉体的能力が次第に衰えていく以上、やり方・考え方・知識量の変化を伴わなければ若い頃のピークを越えることはできません。そしていわゆる単純労働はそれでカバーできる範囲が限られているので、どうしてもパフォーマンスが加齢と共に下がってしまうのです。

 

自身の価値を測れずに転職先があると見込んで辞職してしまって、想定通りの給料が貰えなかった、という話もよく聞くようになりました。会社の名前、肩書、立場で仕事ができていると、個人としての力を図り損ねてしまいます。実際、「この人の協力が必要」ではなく「この立場の人の協力が必要」というのは、会社員であれば誰しもが抱いたことのある感情ではないでしょうか。

 

 

逃げ口を作る必要性

確かに経営層から見るとそんな風に見えるかも知れません。ただ、実際にはやはり全くの別物であり、それは奴隷制度の中で扱われる奴隷に対してもピンキリです。奴隷でも家族同様に扱われる所もあれば、それこそ労働の為の道具として扱われる所もあります。

 

仮にサラリーマンがきついとしても、身分の自由として結婚や転居、その他多くの行為が可能であることから、やはりサラリーマンと奴隷とでは比較になりません。

 

サラリーマン人生に於いて、死ぬまで酷使されてしまうのは、逃げるという選択肢を見落としてしまった、と換言できるかも知れません。法を超えて強制的に働かせる権限は誰にもなく、仮に非難されてしまうとしても、それはただの個人が喚いているだけで、それ以上のものはありません。

 

最近はあまり聞かなくなりましたが、バックレ(無言辞職)という言葉がありましたね。いつの間にか一人二人がいなくなっても、意外と職場は回るものです。もし同僚に迷惑が掛かったら、という気持ちがあっても、自分の命と他人の迷惑とを考えてみれば、どちらを選ぶべきか、考えるまでもないことではないでしょうか。

 

参考リンク(墓場ネット)

仕事を辞めたい、辛いと思った時に読んで欲しいもの

 

奴隷制度とサラリーマンを考えてみる~まとめ~

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画像転送元(pixabay

色々と考えてみましたが、そもそも両者とも、どの程度のものを比較にするかで話が変わって来ます。ですが、最低水準のサラリーマンと奴隷とでは、やはりサラリーマンの方が格段に恵まれていることは確実でしょう。

 

ですが、サラリーマンの立場である以上、会社とともに運命を共にせざるを得ない時もあります。そんな時に、特別な能力もなく、新しい環境への適応性もなく、そして頭の柔軟性も減少してしまった状態で会社を追われてしまったら……と考えるとどこまで落ちていくかは分かりません。人はなかなか暮らしのグレードを下げることができず、時にそれが強いストレスとなって相当の苦しみを招いてしまいます。

 

コロナであぶり出された「働かないおじさん」問題。2020年のコロナはまだ始まりでしかなく、更なる働き方の変革、勤め人にとっての新しい苦労がどんどん出て来ないとも言い切れません。

 

一昔前と違い、今は何が起こるか分からない不安定な時代となりました。既に会社員に以前のような安定性はなく、外国勢力との競争というものも、ここ数年~十数年でより一層の激しさを増しています。全てに対応することはできませんが、万一に備えてできることはしておきたいものですね。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

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