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夜の山を歩いて得られるもの_ナイトハイク

山は昔から畏敬の念を集めて来ました。昔々、山には人ならざる知能を持ったものが住み、そして神々、妖、妖怪など、とにかく様々なものがいるとされました。




 

今とは違い、電話もなければ地図もない。気安く立ち入ることができない、そんな雰囲気が昔の山にはありました。

 

そして現代社会。多くの人が気軽に登山を楽しめる時代になりました。求めるものは様々ですが、共通するものとして、都会の喧騒を忘れ、自己を鍛え、心身を清らかにします。

 

山にはとかく魅力がありますが、山の持つものは魅力だけではありません。今回はそんな山の持つ様々な面を考えてみたいと思います。

 

参考リンク

 

山と私

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画像転載元(pixabay 様)

なぜ人は山に登るのか、というのは永遠のテーマであるかも知れません。山登りにも様々なものがあります。ハイキングコースのようなものから本格的な登山など、その幅はとても一言では言い表せません。

 

私自身、本格的な登山はしたことがありません。経験上、700mくらいが最高ですし、それもそこら辺に遊びに行くような格好で、四時間~五時間程度で上り下りしたというようなものです。

 

ただ、今にして思えば、水辺の斜面を下る箇所もあればロープを使う箇所もあり、一人で行くのは危険ですね。

 

さて、それ以外は、日常的にふらっとハイキング的な山道を歩いていた時期があります。日が昇る前にもふらっと行って、そして同じ日の夕方のもふらっと立ち寄ったりもしました。300mほどだから、そこまできつくはありません。とはいえ、石段が果てしなく続くように思える場所もあり、その道程はそんなに楽というものでもありません。

 

その行為に何を求めていたかと言いますと、一つは体力の増強です。そして、もう一つは気分転換です。

 

静かな山の中にいると、普段の生活を全て忘れて、ただ一人の生き物として、その場に生きているという、敬虔な感情を得ることが出来ます。これは何もオカルトのようなものではありません。山を歩いたことがある方は、少なからず感じたことがあるのではないでしょうか。

 

別段、生活に疲れていた訳でもありません。ただ、一時期、未来に希望が見えないという時期がありました。漠然とした不安は誰しもが感じたことがあると思います。そんな時、ふらっと知らない道を進み、そして知らないもの見る。それを何よりも新鮮なものとして受け取れる時期がありました。

 

 

夜の山、その果てしない暗闇の中で感じるもの

夜になっても、現代社会はとにかく暗闇というものがありません。全てのものが遍く照らされ、その姿を夜の中でも、くっきりと浮かび上がらせています。

 

しかし、例えば田舎の農道など、人の暮らしの見えない場所に闇はまだ残っています。それは人の暮らしを離れれば離れるほど、深さを増していきます。

 

その中でも、夜の山はとりわけ、暗いです。

 

実際には、空には星が出ていますし、遠くには人の暮らしの証でもある電灯もあります。そして、必ずといってもいいほど、信号や、車のテールランプがどこかで光っているものです。

 

ですが、山に登っている最中には、その光を見たとしても、それが不思議なほど、自分にとって関係のないものに思えて来ます。加えて、物理的にも、木々に囲まれているとそういう光から断絶されます。そういう意味で、外部の光を感じにくい環境が出来ています。

 

結局、懐中電灯かヘッドライト(私は使ったことはありませんが)による、自分が操作できる光だけが頼りになります。

 

そんな中で、ふっと全てのライトを消してみると、自分という存在が非常に頼りないものに思えてきます。代わりに、月が出ていると、こんなに月明りは頼もしいのか、と日常生活で感じることが出来ないことが感じられます。

 

月明りに薄く延ばされた木々の影、唐突に風で鳴る葉、そして一斉に揺らめく黒い影。彼方に見える人の暮らしの微かな光。見上げた先には、はるかに輝く星々の光。

 

結局、人というものはただの一つの存在であって、自然には到底及ばない、そんなことを思い起こさせます。

 

参考リンク(墓場ネット:スピリチュアルカテゴリー)

 

夜の山に潜む危険

もちろん、山には危険もあります。そして、いきなり面白くないことを言いますが、女性は決して夜の山を一人で登ってはいけません

 

また、見知らぬ生物がいる可能性もあります。

 

参考リンク(カラパイア 様)

あなたを恐怖に陥れる、登山道の監視カメラが映し出した15の奇妙なもの

 

と、これはちょっと……な感じですが、でも、数メートル先の暗闇に何がいるのか分からないという、そういう恐怖は本当にあります。

 

ただ、実際、普通に安全な山道で出会ってパニックになるのは、なんだかんだで蜘蛛の巣だったりします。これは本当に「うわっ!」っと軽く混乱しますから注意が必要です。

 

おススメは木の棒やら傘を持って、自身の進行方向の先を振り回しながら歩くこと。蜘蛛の巣だけはどこにあるか、本当に分かりません。

 

後、遭難だけはガチで危険です。

 

参考リンク(タコの卵 様)

山で迷ったら絶対に下るな!最強の恐怖本 道迷い遭難は絶対読んで!

 

確かに、迷っても引き返すにはかなりの勇気が居るんですよね。私は迷うのも好きで、けっこう知らない山道でもブラブラしていたものですが、それは低い、そこそこ町中の山だからです。遭難するにしても、まあ一~二時間も歩いていれば何とかなりますので、遭難とは言えないかも知れません。

 

繰り返します。遭難だけはガチで危険です。命の危険を感じるような迷い方は辞めましょう。

 

 

夜の山を歩いた人間にだけわかること

最近は「ナイトハイク」という名称で、以前よりは敷居が低くなった「夜の山登り」。標高が高い夜の山登りは推奨できませんが、個人的には低山とも呼ばれるところは、是非とも安全を確保したうえで体験して頂きたいと思っています。

 

まず、神経が研ぎ澄まされるというのは本当です。些細な物音に敏感になります。それから風、匂い、質感、そういうのに対しても、諸感覚が鋭敏になります。

 

そして、全身の汗腺が開いたように、慣れない内は、興奮に近い状態を得ることが出来ます。呼吸は浅くなり、交感神経が働いている緊張状態を、感覚が研ぎ澄まされた状態で感じることができます。

 

こうなると、やはり人間とは一つの動物である、と自然に対して謙虚な気持ちになります。自分の矮小さに気が付く、一つの契機になります。また、あまり別のことを考えなくなります。一歩前へ進む為に、足元、周囲を常に気にする必要があるから、言わば無心に近い状態になれるのです。

 

無心になる、ということは、これは個人的に思うことですが、おそらくすべての物事に対し、ポジティブな面を持っているのではないでしょうか。集中力が高まる、一心に何かに打ち込む、こういう状態を悪く言う人間はいないでしょう。

 

 

そして待ち受ける、頂上の風景

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画像転載元(pixabay 様)

これはもう語る必要はないですね。夜景、そして満点の星空がそこに待っています。それは地区地域で大きく異なりますが、実際に体験した人間にとっては、どの景色もきっと素晴らしいものに映ることだと思います。

 

その瞬間の眺望は苦労を吹き飛ばし、そして人に新しい感動と、そしてイマジネーションの精神、敬虔さ、謙虚さを与えるに十分なものがあります。ただの一つの風景、確かにそうかもしれませんが、普段と異なる精神状況で、そして見る頻度も多くないものだとしたら、その印象は全てが異なるものになることでしょう。

 

 

夜の山を歩いて得られるもの_ナイトハイク~まとめ~

私も生きる中で、そこそこ色んな経験をして来ました。もちろん怖いことも辛いこともあります。それでも、月の出ていない、夜の深い時間に一人静かに高い山を登ることを考えると、思わず身震いしてしまいます。

 

ましてや、その山が普段は誰も登らないような僻地であれば猶更です。色々なことを感じて生きていくのは、人生を豊かにすると個人的に思っていますが、しかし限度というものはあります。

 

その中で、ごくごく安全な環境で、そして複数人で(一人で登るのはやっぱり危険です)、静かに精神を研ぎ澄ませながら、ひっそりと山を登るというのは、とても魅力的な体験だと思います。

 

何かを変えたい、閉塞感がある。そういう時に、ふっと、くどいようですが安全を確保した上でナイトハイクを楽しまれてみてはいかがでしょうか。

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございます。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

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