もともと腰はそんなに強い方ではありませんが、トラブルを抱えているという程ではありません。
人生で今まで、約三回ほどでしょうか。筋トレだったり疲労などで、動けないようになったこともありました。以前、健康の為にと逆立ちをしていた時期があるのですが、朝起きたら起き上がれないとか、そういうのもありました。
しかしそれは何と言いましょうか、生命に対する「真の危機」ではありませんでした。痛いし行動の制限を強いられる。しかし、理由も分かるし我慢すれば問題なく動く、そういう痛みでした。湿布を張っておけば治るようなそういうものでした。
しかし先日、かつてない程の痛みを経験しました。理由は分かりませんが、おそらく、強めの筋トレも原因の一つだと思います。
参考リンク(腰痛年齢.com様)
ながくつづくその腰痛は、筋肉や関節だけでなく「痛みを抑える神経」が原因かもしれません。
経験したことのない激痛
画像転載元(pixabay様)
原因がわからないのは怖いです。そして腰痛は本当に怖いのです。記念に症状を挙げていきましょう。
まず、背筋を曲げて前に45度も屈むことができません。靴下の脱ぎ履きが非常に困難です。立っても無理、座っても結局は腰を曲げるからどうにも上手い方法がないのです。
歩くことさえ苦労します。変に体重移動しようものなら、即座に激痛に襲われます。刺すような痛みとは正にこのことです。激痛とともに姿勢を戻されます。その激痛は即座に学習され、もう同じ行動を取ろうと思えなくなります。
もっとも怖いのは、いつ治るのか、本当に治るのか、原因は何なのか、とそれがわからない点であります。果たして横になっていれば回復するのか。温めるのか冷やすのか、痛み止めは効果的なのか。
さて、立っていてもきつい、座ることもきついとなれば横になりたくなるのが人の常。しかしここに最後の罠がありました。痛い痛いと叫びつつ、意を決して仰向けになります。そうすると、そうです、ベッドの上では、起き上がることも寝返りを打つこともできないということに気が付きました。
絶望を感じました。眠ることもできず、くつろぐこともできない。リハビリもできない、回復も望めない、本当に涙ぐみます。身動きできない状況で、寝ることもできない。快方に向かっているのかもわからない。本当に不安でいっぱいになると、一人暮らしですので、孤独死という言葉さえ脳裏を過ぎりました。
襲い来る寒気
いずれにせよ、横になるのなら湿布を張っておこうと思いました。ほうぼうのていでベッドから抜け出し、備蓄の冷湿布を張ってベッドに戻りましたが、それを契機に、さらに恐ろしいことが起こりました。
その時、これまで経験したことのない震えに襲われたのです。春の陽気のまっただ中で、歯がカタカタと激しく笑い続けます。突然です。あまりに突然で、ちょっと笑いが出ましたが、すぐに笑いごとじゃないと自分を戒めます。
訳がわからないほど急激に寒気に襲われると、人は思考が飛ぶものなのですね。とはいえ、このままでは危険だと思いました。気合を入れてベッドの端を掴み、叫びながらゆっくりと体を起こします。張ったばかりの湿布を引っぺがし、足元に投げつけます。それから服を着こみ、布団に戻ります。依然として体が痛く、丸くなることも横を向くこともできません。悪寒は続きます。視界が揺れるほどに歯がカタカタと動き続けます。
風邪を引く前の悪寒とは違うように感じるのですが、それでも不安はこの上ないです。この状況で、この震えから来る発熱がありましたら、本当にどうしようもなくなります。一人暮らし…これまでいくつか病気をして来ましたが、これまでの人生の中で一番、死を身近に感じました。もう駄目だと思いました。
夢うつつの中で、似たような危機を思い出す
その中で、私はぼんやりと思い出しました。一度だけ、かつてこういう経験をしたことがあったな、と。
かつて、自転車に乗っていて、諸事情でブレーキして、尾骶骨をサドルに強打した日の翌朝のことです。寝起きに今回と同じような震えに襲われました。歯が尋常でないくらいに鳴り続けます。枕に顔を埋め、これからの人生を、静かに、半泣きで考えたことがあります。一体どうなってしまうのだろうと。思えば、歯が鳴るほどの寒気など、風邪やインフルエンザでも感じたことはないです。
ちなみに、尾てい骨を強く打つ、ということで検索してみると、脳脊髄液減少症というものについて知ることが出来ました。なかなか狙って探り当てることは難しいものです。外傷後に不調が長く続くようでしたら、疑ってみるのも一つかもしれません。
参考リンク(酒田市ウェブサイト)
そして命の危機という点で、もう一つ思い出しました。真夏で室温が35℃くらいの中、扁桃腺を腫らして寝込んでいた39度越えの時です。昼寝をした後の午後四時のことでした。そんな中にいて、扇風機の風がなくとも、暑さを感じないのです。汗も搔いていません。心地いいとさえ思いました。
当初、病院に行くつもりはなかったのですが、これは本当に危ないと思い、急いで病院に行くことを決めた、そんな夏の日もありました。
風邪は万病のもと、腰痛と組み合わさると恐ろしいものは?
そして腰痛と組み合わさるととても怖いもの。それはお腹の緩みです。
腰を曲げることもできないとなると、お尻を拭くことも容易ではありません。出来るには出来ますが、痛みに耐え抜く勇気と根性が必要となります。腹痛を我慢できればいいのですが、腹を下しているとそうはいきません。通常よりもトイレに多くいきます、そして多く苦しみます。和式でしたらそのままでなんとかできます。ただ、洋式の場合、出して便器を降りて、そして便器に向き合って拭くことになります。仕方ないと思いつつ、ちょっと半泣きです。
安静にしつつ回復を待つ
結論から言うと、それから徐々に回復し、三、四日後には特に痛みは残るものの、問題なく行動できるまでになりました。ただ、これはそれで終わらせるわけにはいきません。
今回の件で腰の大事さを知りました。そう思い、この記事を書いています。
今回の腰痛で学んだこと、感じたこと
体が動かせないことの恐怖は相当のものです。気合や根性でどうにかなるものではない痛みを経験しました。痛みをこらえつつ行動する、そのようなことは夢想でした。体が動くことを拒否しますし、物理的に動かないような気になるのです。
どのくらい体が動かなかったかと言えば、通常であれば、私は前屈で手のひらをぴたりとつけることが出来ます。さらに横、後ろにも手を回せます。股割も可能、全体的に体は柔らかい方です。それが膝までも手を伸ばすことができません。柔軟を行う際は徐々に体を柔らかくしていくものですが、その第一のステップさえ踏み出せないのです。
よくドラマなどで見て、リハビリができない=体を動かそうとしない=意思が足りない、という図式があると私は思っていました。しかしそれが間違いだと気づきました。動かないものは動かないのです。体が駄目だと判断すると、次いで脳が拒絶するのです。
私は腰の不調という段階で済みましたが、事故などでもっと酷い状態から復活するには、かなりの勇気と根気が必要となるでしょう。もし歳をとってしまっていたら、それこそ気力もなくなり、行動を開始することができないくなるのではないでしょうか。
腰痛から学び、危機から感じとったもの~まとめ~
体を大事に、休息を大事に。無理をしないこと。心がけているつもりですが、どうしてもそれを許さないのが現代社会です。
休息は大事です。そして緩やかな運動も大事です。何かが起きては遅いものもあります。今までは若さに任せて結構な無茶をして来ましたが、回復困難であればまだ良し、そろそろ回復不可能な何かが出て来かねないのです。
今回、腰痛の痛みは一週間ほどで8割ほど回復しましたが、体は固いままでした。それを再び元の状態に戻すまで約一か月。体が硬いとはこういうことか、と思いつつ柔軟に励む日々でありました。風邪も不調も金欠もそうですが、やはり危機は人を強くします。得てして人は様々なことを忘れやすいものですが、今回はこの記憶をなるべく形に残そうと思い、こちらを執筆しました。
最後までお読みいただいてありがとうございます。当記事が何かのご参考になれば幸いです。
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