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ゲームの効果効能~進化と退化の側面~

最近、オンラインゲームをやめようか、続けるべきかと、実によく悩みます。ただ、「ゲーム」は日々の楽しみとして、なるべくやめたくない。ならばPSなどのハードで遊ぶものはどうか、と比較検討することもあります。




 

今回は広く、ゲームというものに付いて考えてみましたので、ここに残す次第です。

 

ゲームは好きですか、ゲームとは何だろう

この漠然とした質問は、時代の移り変わりを受け、これだけではどう答えればいいのか分からなくなっています。意地悪な言い方かも知れませんが「ゲーム」の差す対象の幅がかなり広いんですよね。

 

昔だったら、ゲーム=テレビゲーム=SFCやPSなどのハードと、カセットやCDなどのゲームソフトであり、コントローラーを使って遊ぶものでした。しかし今はゲームセンターの体感ゲームもあれば、VRやWiiなどの体を使うもの、またはオンラインゲームもあります。

 

その中の一大ジャンルであるオンラインゲームでも、ゲーム性がメインのネットゲーム、人との付き合いの比率を高めたソーシャルネットワークゲームなど、種類は広がる一方です。

 

ただ、一般にゲームというと、オンラインゲームとオフラインゲーム(一般にテレビゲーム)という括りが使用されています。以前と比べて、今はオフラインゲームが急速に廃れている印象を持ちます。私の子供の頃は、子供達の基礎的な体験として、ドラクエやFFのプレイは必須でした。子供達同士で貸し借りしあって、シリーズをクリアし、攻略を競い合い、話題にして楽しんでいました。

 

有名なゲームはもちろん、他の対戦ゲームなどもみんなでわいわい遊んだりして、とにかく放課後や土日はよく集まったものです。小学生はテレビゲーム、中学生はゲームセンターと少しずつメインが変化していきましたが、土台は同じようなものです。

 

ただ、最近はそれらがほとんどソーシャルネットワークゲーム=ソシャゲに流れていますね。ソシャゲは人の付き合いや、他人との比較がメインとなっているものもあります。つまり、根源的には競争を煽っているのです。この為、夢中になるプレイヤーの課金額やプレイ時間が増え、不健全な趣味という謗りを受けてもいます。

 

課金を促すのは、企業が生き残る為には当然のことです。ただ、そのようなシステムである以上、ストーリー性や操作性、謎解きの要素(もともとのゲーム性の部分)がかなり削られてしまいます。それらはソシャゲにはあまり必要ないものなのです。

 

大事なことは他人と同じ土俵で戦い、他人が持っていないものを持ち、そのゲームにおいて様々な分野で勝つことです。勝つことは当然、誰でも嬉しいでしょう。ですので、勝つ為に、楽しいとは思えない作業に多くの時間を費やします。また、どんなに低確率だろうと、ガチャを回すアイテムを課金で得たり、ゲームで得て回し続けます。

 

参考リンク(自サイト)

オンラインゲームに見る、熱中性の虚しさ

 

 

背反する両者の成長性

オンラインゲームの運営会社はプレイヤー同士を上手く煽ります。それがゲームの売上を左右するので当然です。一方で、オフラインゲームはストーリーやグラフィック、操作性、音楽などを競いあってきました。ドラクエで言えば、色が付き、敵グラフィックが動き、キャラクターも2頭身から3頭身を経て、やがてデフォルメ性もなくなっていきました。

 

例えば、同じ物語を見るにしても、小説と映像では感じ方が大いに変わりますよね。一言で言えば想像する余地があるかどうかです。声、情景、細かい描写など。映像はそれらを全て画一的のものに落とし込んでしまうのです。万人に遍く広める為にはそれがいいでしょう。ただ、個々が思い描くオリジナリティの余地は全て奪い去られてしまいます。

 

ゲームがリアルに近付いていく際にも、そのような事が起きました。それまでの無機質な台詞送りに声が付き、挿絵で描かれていたものがムービーとして流れ、プレイヤー一人一人が思い描く物語が、ただ一つの流れに集約されてしまいました。

 

それがいいか悪いか、それを論じることは難しいでしょうし、答えもないかも知れません。どちらにもいい面があり、悪い面があります。技術の進歩に悪い面があるものか、という声もあるかと思いますが、与えられていない情報を「補完する」ことができないというのは、寂しいことではないでしょうか。

 

私が子供としてゲームに親しんでいたのは、1995年頃から2005年頃ほどの間だと思います。ちょうどGB、SFCの全盛から、PS2などへと移り変わっていく時期です。一時期の携帯電話の進化と同じく、ゲームもかなり進化し続けていた時期だと思います。主観が多分に含まれますが、私はこの時期がもっとも健全な進化をしていた時期なのではないかと思っています。やりこみ要素はありますが、必ずどこかに「そのゲームとしての終焉」が用意されていたのです。

 

 

ちょっと考えてみました、ゲームと学力との関係

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ゲームをする人間はバカになる、と言う言葉を聞いたことはありますでしょうか。恐らくですが、ファミリーコンピューターの頃から言われているくらい、歴史の古いものではないでしょうか。

 

この言葉は事実ではありますが、違う部分もあるかと思います。端的に言えば、考える部分や工夫する部分の多いゲームを、しっかり楽しむことができるのなら、むしろそれは勉強へと応用もでき、物事を効率よく考えられる、頭がいい子へと成長するのではないでしょうか(もちろん限度はあります。内面が整わないまま、効率のみを求めれば間違った方へ進むでしょう)。

 

どんなゲームでも、ある手段を用いて次へ進む、ということの繰り返しです。何かを習得し、それを用い、更に成長させ、そして次のレベルへと進む。やがて何かのきっかけでかつて習得したものの性質が変わり、またそれらを使う。これらは勉強と似ている部分があるかと思うのです。

 

一方、強くなる要素の多くが、ガチャなどの運、及び課金によるサービスに限られている場合は別です。強い人間はより強くなり、弱い人間は弱いままです。ただ、それでは運営が芳しくないので、弱い人間にてこ入れをします。ただ、それを弱い人間にだけ適用するのでは、強いプレイヤーが面白くないので、全てのプレイヤーに適用します。そうすると、差は縮まるどころか、拡がっていくのです。それが何度か繰り返される内にプレイヤーが離れ、やがてサービス終了へと向かいます。それはオンラインゲームの宿命ではないかと思います。

 

運営が上手な場合、それらの問題を別の切り口で変化させるか、もしくは長引かせるか、という形で、どうにかゲームを存続させますが、それでもやがては限界を迎えるでしょう。いずれにせよ、インフレし続ける運命にあります。初期の最強は後期では弱卒と成り果てます。そういうのに付いていけないプレイヤーも徐々にゲームから離れていきます。

 

 

癖になる課金の楽しみ

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ガチャには大雑把に見て二種類あります。課金ガチャか無課金ガチャです。普段から無課金で、たまに課金ガチャをゲーム内のアイテムを用いてやると、無課金ガチャと比べてかなり興奮します。

 

基本が無課金のプレイヤーは苦労が報われ、課金者はリアルマネーでのサービス購入です。それが使用される瞬間は、買い物によるストレス発散のような効果があるのではないでしょうか。恐らく、こういう点もオンラインゲームに引き寄せられる要因の一つでしょう。

 

 

オンラインゲームを止めて、オフラインゲームには戻りにくいという風潮

普段からPCが付いているような生活をしていると、ちょっとブラウザを開いただけで、手軽にオンラインゲームができます。場所もとりません。一方、オフラインゲームって意外と面倒に感じます。ハードの準備、コンセント、ロード時間、後片付けなどなど。出しっぱなしでいいのならこれらは問題ありませんが、いずれにせよ場所をとります。

 

また、ゲームをどれだけ頑張っても、他者との比較があまりありません(ネットワーク対戦型のタイプは除きます)。自分ひとりで続け、自分ひとりで終わります。内容を友人などと語ることはできますが、データそのものを使用することは少ないでしょう。

 

これはメリットでもあり、デメリットでもあります。

 

 

人・時期にあったタイプのゲームを選びましょう

年齢に従い、もちろんですがプレイするゲームも異なるものでしょう。ゲーム内容もですが、ハードもシステムも、そして懐具合も変わって来るものです。

オンラインゲーム

穿った見方ですが、オンラインゲームをやるメリットはこういうものが考えられます。

  • 張り合うことが楽しい
  • 人と触れ合うことが楽しい
  • ゲーム内での努力・頑張りを認められる
  • 課金者は金=強さという中で、金銭的に余裕がある人はやりがいのある余暇として、そうでない人は、一種の人生目標として楽しめる。

完全無課金の方は、暇つぶしとして満足できるタイプ、もしくは無課金でどれだけ課金者に対応できるか、及び課金者より強いことを証明し、人間としての優位性を感じたいタイプ、という楽しみ方に別れます。

 

参考リンク(Haterabo 内記事)

追)無課金で数年続けていたソシャゲをやめて分かった、ただ1つの事実

 

デメリットは中毒性や、時にリアルを犠牲にしなければ上位にいけない=気晴らしで遊ぶスタイルでは他者から出遅れてしまう、というものがあります。また、言わずもがなですが課金性です。

 

課金したものは全てデータで、サービス終了してしまえば何にも残りません。ただ、先のように課金するメリットというのもありますし、娯楽の一環と考え、その範囲の課金で遊べるのなら、旅行や飲み、豪華な食事などと変わらない、意味のあるお金の使い方という見方もあります。

 

オフラインゲーム

一方、オフラインゲームの楽しみ方は、こつこつやって、解説書や攻略サイトなどをじっくり見て丁寧に進めていくタイプ、及び本能的にやって、駄目だったり向かないと分かったらすぐに辞めるタイプ、などがあるかと思います。

 

メリットはいつやっても、誰とも比べられないことで、限定アイテムなどがないので、最終的なゲームデータはほとんど同じになります。

 

デメリットはそれらの裏返しで、オンラインゲームほどの個性が作れない、もしくはやりこみ要素が少ない、やりこんだとしても完全な自己満足に終わる可能性が高い、ということでしょうか。仮に確率1%のアイテムが手に入ったとして、やはりオンラインゲームに勝る喜びは手に入りません(個人的意見ですが…)。

 

 

現在の私の状況と考え

今はオンラインゲームを二つ、ぼちぼちやってます。一日のゲーム時間にすると、平均一時間半ほどやっているのでしょうか。家事などをしながらの「ながらプレイ」も多いですが、やはり各種メンテ状況を見たり、情報を各サイトから仕入れたりと、そういう時間も含めれば、もう少しゲームに費やしている時間は増えるでしょう。

 

この時間を少しずつ少なくしていきたいのですが、恐らく、ある程度まで楽しむ(強くなり、これ以上は時間を掛けてもそんなに変わらない、もしくは面倒だと感じる)までは終われないでしょう。

 

取り敢えず、そこで手を引くことができれば、以後はオフラインゲームをまったり遊んでいきたいと考えています。現状は一種の中毒だということは分かっています。ただ、それなりに先も見えていますので、そこまで来ればプレイ時間などは大幅に減らせるのではないでしょうか。

 

 

ゲームの効果効能~進化と退化の側面~まとめ~

ファミリーコンピューターが発売したのが1983年。それから約35年、紆余曲折を経ながらテレビゲームは進化を続けました。ゲームという概念で見れば、例えば将棋なんかもその括りに含まれますが、今回は主にテレビゲームというものの発展について考えてみました。

 

ゲームは時代時代に技術発展を促し、そして適応させることにより、その可能性を伸ばしながら進化して来ました。時にそのうねりに溺れ、後悔してしまう人も出てきています。

 

しょせんゲーム、しかしされどゲーム。楽しみ方はそれぞれ、そして付き合い方もそれぞれです。早い段階でその見切りを付けることが出来れば問題ないのですが、ゲームが進化するとともに、人も進化し、そして成長します。その中で折り合いをつけることは容易ではないでしょう。せめて「fun」の範疇で終わればいいのですが、負の感情を産むようになると考えものです。

 

以上、アラサーとして、平成29年4月26日現在のゲーム雑感でした。最後までお読みいただいてありがとうございます。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。