魂のレベルと、その奥に潜むマズローの欲求5段階説_イメージ画像

魂のレベルと、その奥に潜むマズローの欲求5段階説

色々あって怖い話を読み漁っていた時期がある。怖いというより、不思議な話の方が多いのだが、そのなかで一つ、気になったものがあった。

 

「魂のレベル」というものである。最初は眉唾で読みはじみたのだが、読み進めるに従い、なるほどと思うようになった。

 

参考リンク(google検索)

「魂のレベルとは」

 

ちょうど、手塚治虫の火の鳥を読んでいたということもあり、久しぶりに人生をぼんやりと考える契機になった。あれは少年誌の範囲を飛び出して、かなり哲学的な意味を持つものだと思う。

 

参考リンク(自サイト)

手塚治虫の「火の鳥」を読んでみて感じたこと

 

さてこの話、人の個性というか、特徴、能力が知性以外のものに由来するという話は興味深い。なお、色々な考え方があるが、ここで上げる魂のレベルとは、転生を繰り返した魂のレベルという、そういう意味でもっと大きな話である。

 

だが、人が生きる上での成長水準を「魂のレベル」として見るという考えもあるらしい。その場合は、もっと短絡的なもので、その人の一生という括りで見ることも出来るだろう。そして、今回メインで語るのは前者であって、後者を引き合いに出すこともあるが、決してそこに対する批判が目的ではないので、あしからずご了承頂きたい。

 

 

社会を眺めてみて感じる、個人的なこと

振り返ってみると、四十を過ぎた人の中にも精神的に幼い人間がいるとも感じているし、結局、六十だろうが七〇だろうが、やはりどうにも救えない、その年まで人ならざるものだったか、と諦めに似た気持ちで眺めざるを得ない人間もいる。

 

一般に趣味・趣向には「ヒエラルキーをつけるな」と言われるが、低俗な趣味というのは存在する。休みはパチンコにゲームしかすることがなく、金がなければ安酒を飲むか、近所をブラブラするしかないという人間は、やはり高尚とは言えないだろう。

 

もちろん、よく出来た人でも、パチンコを時間潰しとかではなく、きちんと娯楽と捉えて楽しんでいる人間もいるから、全てを一緒くたにすることはできない。

 

さて、その場合、どこでそれらが分別されるのかという線引きも興味深い。人による価値観でもあるだろうし、その目的に対するスタンスの違いという人もいるだろう。

 

人の成長段階、成長速度の異なり

知能か環境か、はたまた必然なのか。成長するに従い、例えば羞恥心というのはどんどん薄れていくから、誰しも必ず幼い頃よりは汚くなる。とはいえ、その程度に違いが有りすぎるのが問題だ。

 

また、我慢ができない、じっとできない、話ができない、病気でもないのに、大人になってもそういう人は確かにいる。

 

それは何故だろうか、精神年齢? 成長速度? それだけで語りきれるものではないだろう。そうなると、その背後にある、とても我々の知見では及ばないものの存在も考えられる。

 

そこに、ようやっと魂のレベルという概念を以て考えてみる。なお、先に述べたように、魂のレベルというものがあるのなら、それは一代二代でどうこうなるものではない。

 

「魂レベルが上がりました」などと語るのは、非常に滑稽なもののように思われるし、多分本当にレベルが高い人たちは、そんなものの存在はどうでもいいと言うだろう。

 

私自身は輪廻というものには半信半疑であるが、どうあっても理解できないものは存在していると思う。そのロマンを否定したくないというのも一つある。

 

魂のレベルは上げることはできないが、まだその肉体の中で目覚めておらず、様々な価値観を知ることで、有り様が変わることはあるかも知れない。

 

その場合は人間そのものが変わったようになる。そこまでいけば、それは確かに輪廻のレベルでの「魂のレベルの上昇」とも言えるかも知れない。

 

 

魂のレベルの判断の難しさ

魂のレベルと、その奥に潜むマズローの欲求5段階説_イメージ画像

画像転載元(pixabay 様)

子供を例にとる。考え方が大人びていても、一定のレベルで留まってしまったまま大人になったとすれば、それが知性によるものか、興味によるものか、魂のレベルによるものかという判断はしようがない。

 

魂のレベルというのは、生まれてすぐに天上天下唯我独尊を唱えたガウタマ・シッダールタのように、もっと人の個人的な成長速度とは無関係に、超能力のように、一般の人間では容易に理解できない、到達し得ないものを図る言葉として用いられるべきではないだろうか。

 

そうなると、個人一代ではどうこうという話ではないと分かる。個人がどうあがこうと、これまでに転生してきた過程の経験、その位で決まってしまうからだ。

 

 

魂のレベル二つの概念を詳しく

魂のレベルという概念は、冒頭で述したように、一つは「輪廻を繰り返した一つの魂」として、大きなスケールで見るものと、そしてもう一つは、一人の個人がなせる、欲望と社会的貢献度の段階で言うことができる。

 

この点を取り違えると、色々と話が違ってくる。よく「魂のレベルを上げよう」というセミナーは、間違いなく後者である。考え方一つで確かに人は変わることが出来るかも知れないが、それは考えというものであって、厳密にいえば、それを魂のレベルという表現で表すのはどうかと思う。

 

もっとも、この辺は私の感覚でしかないし、ちょっとだけ目にした「魂のレベル」という単語から想像した私の意見が間違っている可能性もある。そもそも定義がぶれていると感じているのも私だけかも知れないし、論点が大いに異なっている可能性もある。その際は、繰り返しになるがご容赦頂きたい。

 

 

マズローの欲求5段階説

いずれにせよ、この意味で、後者の欲求と社会的貢献度を問うものは「魂のレベル」というより、欲求段階という言葉で説明した方がしっくりくる。

 

というかそのものではないだろうか。

 

参考リンク(ferret-plus 様)

マズローの欲求5段階説を図付きで解説!各段階に合わせたサービスも紹介

 

この表を見るに、私は世に溢れる「魂のレベルが上がった」という点に対し、明確な違和感を覚える。「欲求段階のステージが上がった」というのが正しい。

 

「魂のレベル」という単語と比べると、いささか世俗的な表現であることは否めない。

 

失礼な話だが、そんじょそこらの一般的な男女が、ポンポン魂のレベルが上がった、という言葉を聞いて、正直な感想として、私は気持ち悪いと感じる。

 

 

魂のレベルが高い人=一般には理解されない人

魂のレベルと、その奥に潜むマズローの欲求5段階説_イメージ画像02

画像転載元(pixabay 様)

訳が分からない人間というのは、確かに存在する。そういう人間には、もしかすると本人でも分からないような、不思議な熱意・使命感がその内奥に存在するのかも知れない。

 

だが共通するものがある。その活動の多くが、富や名誉を目的としたものとは言い難いことだ。名誉、それは手段として行った行動の意図しない結果の一面であって、こういう偉人は他人の評価をあまり気にすることはない。

 

身を粉にして、ただ誰かの為に動く。もしくは損得を抜きにして、面白いことや為になることをなそうとする人。それらは、この現代社会では、本当に稀有な事態だと思う。

 

損得勘定で動く人間がほとんどだと言っても差し支えない中で、そのような人間を身近に思い浮かべることが出来るだろうか。そういう方は非常に好ましい環境にあると言える。

 

 

魂のレベルと、その奥に潜むマズローの欲求5段階説~まとめ~

子供の頃、洗脳される人間というのを見て、どこか理解し得ない違和感があった。しかし、大人になった今、世の中に溢れる様々な現象、そしてそれを受ける心理を考えるに、そういうのもあるのだろう、と受け入れられるようになった。良い意味でも悪い意味でも。

 

スピリチュアルな世界というのは、神秘であり、その反面、危険である。そして、危険な世界の中で戦う人間を、ともすると神秘的な存在だと感じ、それにすがりたくなる時もあるかも知れない。

 

結局、最終的に何かを信じて、精神がいい方に働けば、それは単純に心理的な働きかけとしても、十分に価値が見いだせる。 そして、ここでも、やはり大事なのはどれだけ精神が強く、それが正しく、ぶれないかということだろう。

 

参考リンク(自サイト)

生産性と健康の向上の為の瞑想(マインドフルネス)

 

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。

スピリチュアル・哲学の最新記事8件