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薄れゆく季節感、夏の終わりに感じるもの

夏です。これを書いているのはお盆休みの最中です。最近はちょっと天気も悪いので、めっちゃ暑いということはないです。2018年は七月の前半からずっと暑くて、そして 八月に入ると少しずつ涼しくなっていく、そんな感じになりそうです。




 

今年の夏を振り返ると、昼間の室温は35℃で、寝る時も31℃くらいまでしか下がりません。暑いです。でも、暑いだけなんですよね。暑い=夏という図式が成り立たないというか、不思議な感覚がずっと続いています。確かに暑いけど、今は夏なんだろうか? そんな奇妙な感覚があります。

 

季節を考えてみると、まあ春と秋はやはり過ごしやすい分、そんなに季節感を感じることは少ないかと思います(生命に影響することも少ないという意味も含めて)。

 

それよりも、夏と冬は本当にきつく、翌日の気温とかそれに対する備えとか、季節感でいえばもっとも身近に考え、そして感じるものだと思います。

 

ただ、年々、ある程度は仕方ないと思いますが、緒感覚が鈍って来ているように思うのです。今は確かに夏ですし暑いですし、夏だという認識はあるのですが、何というか、なんでしょうね、昔のようなトキメキを何ら感じなくなっています。

 

なぜそういう風に思うのか、少し考えてみました。

 

参考リンク(All About)

季節感ない生活があなたを「気涸れ」に導く

 

 

季節感を薄れさせていくかもしれない生活内容

年を重ねると、一年一年の印象が薄まっていきますよね。でも、もしかしたら小さな習慣の結果であるかも知れません。

テレビを見ない

これ、結構大きな要因だと思います。正直、夏のニュースというか風物詩を見ないというのは結構大きいですね。CMや番組の放送内容で季節を受け取ることが多いのでしょう。

 

一人暮らしをしている間、だいたいテレビを見なくなるものです。何と言いますか、テレビはダラダラ見てしまい、受動的なところがあります。同じプログラムを視聴するでも、ビデオで見たり、テレビに向かう姿勢を変えれば別物となりますが、今はそうまでして行うものがないのも実情です。

 

遊びが少ない

これも大きいと思います。遊ぶといってもたまに飲みに行く程度、旅行なども行きますが、それでも、なんといいますか、ハマる感じが少ない、と個人的に感じることはあります。もう色々なことに飽きてしまったり、ステレオタイプとして見てしまうと、どれも要素要因は似たようなもののようにも感じてしまいます。

 

下手な例えになりますが、一日一万程度で誰かと何かをして遊ぶにしても、子供の頃に家で引きこもってずっと一人でゲームしていたあの頃には勝てない。そういうことさえ思う次第です。

 

思うに、これも性格上のものですが、僕は同時にいくつものことを進めたがる癖があり、それで一つのことに熱中しにくい、という風になってしまったのかも知れません、何かをしていても、ふっとあれはどうなるかな、という風に考えてしまいます。これは別に個人的には悪い点だとは思っていませんが、なんとなく興が削がれることもあります。

 

参考カテゴリ

夜の歩き方(18禁)

 

情の起伏が少ない

仕事は確かに大変ですが、それでも淡々と進めることができます。夏らしく週末はアルバイトもしているのですが、それもそれで、私は色々な職場を体験しているので、その中の一つという括りで考えてしまい、そんなに感情的な刺激は生じません。

 

初めての職場~10程度までは色々感じることがあるのですが、多分50程度になった今、もうあまり刺激を感じることはないようにも感じます。

 

また、やはりテレビを見たり映画を見たり、そういうことから感じる感情の動きも少ないように思います。思えば、映画やゲームには感情移入しやすいので、年を取ってからは、普通に泣いたりするようになりましたね。そういえば本も読まなくなりました。そういうのがないとやっぱり寂しいです。

 

人付き合いが少ない

僕は仕事は仕事で割り切って考えてしまう性格ですので、どんなに仕事で知り合おうと、あんまり私生活に変化が出にくいです。これは相手がどんな人でもそうだと思います。

 

とはいえ、年齢に比較して友人が極端に少ないとは個人的も認識していますが、これもこれで仕方がないです。もし人との付き合いを増やしてしまうと一人の時間が減るわけですし、一人の時間の方が圧倒的に大事だと思うようになってしまった今、これはもう変えることはできないでしょう。

 

創作性がない

ガンプラもそうですし、季節感を感じるブログを編集した写真付きでアップするなど、そういうことをしていると色々考えることは出て来ます。ガンプラに関しては、完成したキットを見ていればその時の心情や周辺の様子なんかも薄っすら背後に蘇ります。旅行とかそういうのも、改めてブログにしたり、画像を眺めることでより記憶に固定されることでしょう。

 

しかし、ガンプラは環境的に作れないですし、旅行ブログなどをまとめる時間も環境もないです。知らない場所は時間を作って色々回っていますが、それでも何かを撮影することもないですし、やはり刺激が少ないんですよね。

 

参考リンク(自サイト)

東京ぶらり(東京散策日記).Vol1

 

音楽を聞かない

思えば、昔は何かをする時、ずっと音楽を掛けていましたし、それから色々レンタルしたり、前向きな感じでしたね。最近はいくつかPC内にストックしていますが、あまり新しいものを聞き始めるということはほとんどないですね。年に二三回ほど、けっこう強い衝動でヤフオクに手を出すことがある程度です。

 

あ、あれ聞きたいというものはたまに聞きますが、しかしそれ以外のものは、今は仮にPCをしながら流していても、酷い時で全く存在を感じないときもあります。

 

 

それでも、現状を変えようとは思わない

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ざっと書き並べてみました。そして同時に、なぜそれが出来ていないのかも記載してみました。

 

言い訳のようにも感じますが、それでもそれをどうにかしようとは思わない、そういう点で、やはり気持ちによるものが大きいと思います。

 

一時期、非常に感受性の強いといいますか、何をしていてもその体験が新鮮で、身に染みて感じ取れるような、そんな時期がありました。休日にどこか、本当に近場でもいいので出掛けるたびに、仕事のことを全て忘れ、そしてなぜ、自分がそこにいるのかをふっと忘れるほど、その瞬間瞬間に集中できた、そんな奇妙な時期があります。

 

あれから時は流れ、今はその正反対にいるような感覚さえあります。不思議ですね、前は見知った環境の中でそんな感じで、今は実家から遠く離れた、周辺を何も知らないような街の中にいて、こんなに怠惰な気持ちになるということは。

 

何をしていても淡々とした日々に感じ、気持ちも動かず、心の躍動もない。これを変えてみようと、行ったことのないような場所だったり、ことだったり、ものに気を寄せてみましたが、それでも何も変わらないことに気づきました。

 

どこへ行って何をしても、もう大きく変わることはないでしょう。それが分かっただけでも、この半年は価値のあるものです。

 

 

薄れゆく季節感、夏の終わりに感じるもの~まとめ~

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2018年は、今の所、僕にとって非常に慌ただしい年でした。僅かな荷物と僅かな伝手を頼りに上京し、そして今はそれなりに普通の仕事について、生きていくお金には困っていない(余裕と時間はないけど)生活を送っています。

 

しかし、それでいて、その苦労した期間というか、大変だったころを思い出そうとしても、何も覚えていないようにも感じます。僕は記憶に残せない、残らない時間、もしくは何かを後につなげることの出来ない時間は無駄だと考えることもありますので、言ってしまえばそれらの苦労らしいものは、僕にとって無駄であり、実は苦労でなかったのかも知れません。

 

確かに、今この瞬間は今しかありませんし、ここを出た後、将来的にこの地へ戻って来ることは恐らくないでしょう。そういう訳で、今、可能な限りこの街を経験するという選択肢は間違っていなかったと思います。ですが、結果的に何をしても虚しさだけが残っています。やがて、記憶として定着すると違った結果になるかも知れませんが、それは今は分かりません。

 

過去、同じように住んだ土地を色々と回ってみて、最初は嫌だった場所が、記憶としてはいい場所として残っているところも多くあります。

 

しかしながら、やはり振り返ってみると、それは風景であり、街そのものです。人は不要なのです。僕が好きなものは人の介入が少ないものですので、東京でそれを見つけることはかなりの困難でしょう。

 

結局、人の多くて魅力溢れるテーマパークに僕は一切興味を持てず、誰もいない閑散とした山道の方に多大な魅力を感じる人間だったのです。これは金輪際変えられないでしょう。

 

東京の人間の密集具合を舐めていました。どこかへ出かけて落ち着いた気持ちになっても、結局は帰りの駅の人混みにストレスを感じてしまいます。記憶は次から次へ上書きされてしまいますので、結果、僕は東京で色々な所へ出かけてそれなりに面白さも感じたのですが、やはり最後に残った感情としては微妙、という感想になっているのです。

 

そういう訳で、原点回帰の引きこもりに戻ってみようと思います。そう、今しかできない引きこもり…最低限の外出以外はしないという強い意志、部屋に居るだけでどんどん回復する体力、溜まる金、よく考えると素晴らしいことばかりですね。それから禁酒もするとして、やりたいこと、やらなきゃいけないことを、色々とこなしていく日々へ戻ります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。