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ふと振り返る、人生の危険行為、危なかったこと

九死に一生という言葉があります。絶体絶命とか、危機的な状況という言葉もありますね。この現代社会、一見、普通に生きていれば、命の危機に瀕することはあまりないのではないかと思います。




 

しかし、人間というのはそんな環境にあっても、往々にして危機に出会うもの。人生を振り返ってみると、私があと少しで死にそうだった、もしくは色々と危なかったというものは意外と少なくありません。

 

 

思い当たる、ひょっとすると危なかったこと

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  • 学生の頃、数度、修学旅行先で窓伝いに深夜に隣の部屋に渡り行き来したこと(足場と呼べるものはなく、窓から窓へ伝うようなもの。結構な上層階)。落ちたら…。
  • 学生の頃、後頭部を、思い切り長い木材系統のもので、不意に叩かれたこと。
  • 学生の頃、椅子でぶらぶらしていて後ろに倒れて、机の角で後頭部をぶつけたこと。
  • 幼い頃、三メートルほどあるやぐらのような遊具(組み上げられた丸太の上部に縄が張り巡らされているもの)に上り、落ちそうになったこと。周囲には誰の姿もなく…。
  • 成人後、自転車にて急ブレーキをした際、サドルでお尻のちょい上の骨を強く打ったこと。次の日、寒さと吐き気で目を覚まし、本当に不安になったものです。正直、ちょっと泣いた記憶があります。
  • 成人後、自転車にてちょい早い速度でこいでいる時、チェーンが絡まって半回転して転倒したこと。手が使えず、顔から着地する形になりました。思考がフル回転したのか、風景がスローモーションになり、ちょっと顔を傾けて、メガネフレームのフチで着地すれば、色々あって顔・頭へのダメージは少ないんじゃないか、などと本気で考える暇があったことを覚えています。奇跡的にほとんど無傷ではありましたが、メガネフレームは駄目になりました(レンズは無傷)。よく分からないですね。どういう風に着地したかも詳しく覚えていません。
  • 諸事情あって、劇薬を飲み干す可能性があったこと。その液体が水であることは自覚していたのですが、思えば、その位置には劇薬が置かれることもあります(むしろ、その可能性の方が高いです)。もし劇薬だったら今頃、喉が死んでいますね。というか喉とかそういう話ではないかも、です。
  • 劇薬の入った小さな細い試験管(高温)が、至近距離で破裂しました。人生において、かつてない速度で手洗い場に直行し、顔と手をこれでもかと言うくらいに洗いました。洗ってどうこうなるものではないのかも知れませんが、結果として異常はありませんので、命拾いしました。
  • 車の右折時、直進してくる車に全く気が付かず(死角状態)、勢いよく発進したことがあります。もしアクセルに勢いがなければ、軽トラに勢い良く衝突されていたでしょう。しばらくの間、そのルートはトラウマで通れませんでした。
  • 山道(下りの曲がり道)を運転中、ブレーキがあと僅か遅れていたら、トラックと正面衝突していました。
  • あまりにも眠く、二秒間、連続して目を瞑っていたら寝るだろうという状況で70キロ超えの速度で、約数分ほど車を走らせていたこともあります。今ならどんな事情があろうと仮眠を取ります。許可しないと言われたら辞職します。
  • 鉄の機材を組み立て中に、一本の機材(なかなかの重さ)が倒れて来て、目の前をすっと通っていきました。恐かったのはそれが目の前を通り過ぎるまで、全く気付かなかったことです。角度が悪く、もしそれの角が頭や後頭部、背中に当たっていたら危険な事態になっていたかも知れません。

さっと思いつくだけでこれくらいあります。業務上、運転上、遊び上と様々ですね。もし僅かな不運が重なっていれば、こうして無事ではいられないこともあったでしょう。そういうことを考えると、私も思わず先祖・神・生きているもの全てに対して感謝の念を感じずにはいられません。同時に、自身が「生かされている」のだという敬虔な気持ちが沸き起こります。

 

参考リンク(自サイト)

腰痛から学び、危機から感じとったもの

 

 

生きているありがたみを感じると共に…

ふと振り返る、人生の危険行為、危なかったこと_イメージ画像02

これらは時にトラウマともなります。運が良かった、というだけで、それを済んだことだと思い過ごすことが出来なくなって来たのです。本来なら私はあの時、何らかの大きな怪我(完治しない重大なもの)を負っていたかも知れない。そう考えると、どことなく、気持ちの上で自暴自棄になることもあるのです。

 

それで自傷行為に走ることは決してありませんが、今こうして生きていることに疑問が湧くことさえあります。

 

以前なら、ああ良かった、とほっと胸をなでおろすだけで済みました。以後、気を付けることはあってもその時の経験を深く思い出したり、もし重大な事故になっていた先のことを考えることなどありませんでした。それがどういう訳か、トラウマのようにフラッシュバックを起こすことが時折あるのです。とはいえ、健康上の影響はあまりないです。

 

ただ、ふっと立ち止まってしまう、というのが正しいのでしょうか。夜、静かな時間を過ごしている時、もしくは小さな幸せを感じている時、ふと漠然な不安が頭をもたげるのです。

 

 

危険予知の大切さ

現代社会には、思った以上に危険が潜んでいます。それは事故だったり人間付き合いだったり。健康リスクという言葉もありますが、心身ともに健康に生きていく、という意識を持つことが大事になっています。

危険予知

KYという言葉があります。「危険予知」の略で、あらかじめ危険なことを想像することです。「雨が降っている→制動距離が伸びる→早めにブレーキを踏まないといけない、もしくは速度を上げすぎないように」という流れで行われますね。自動車免許を取る時、教習所で習われた方も多いかと思います。

 

ハインリッヒの法則

重大な一件の事故の裏には、やや多くの小さな事故と、そして数多くのヒヤリハット(危なかったかもしれない、と思うようなできごと)が隠されている、という言葉もあります。

 

あの時と同じようなことを繰り返さない為に、確実にそれと同じような状況を避けること、その教訓を得ることは非常に大事なことです。私は非常に運がいいことに、それらの危機的な状況をやり過ごして、無事にこうしてここに立っています。ただ、それらのことを教訓にしていかなければ、これから先はそうは言っていられないかも知れません。

 

参考リンク(wiki)

ハインリッヒの法則

 

 

ふと振り返る、人生の危険行為、危なかったこと~まとめ~

この現代社会において、一度や二度ならず、数度となく危険を経験して来ました。世の中には日常生活を送っているだけでも、車、化学薬品、最近はウイルスなど、ひょんなことから、重大な危険に巻き込まれる可能性もあります。

 

情報化社会で、生活の速度そのものが上昇させられていますが、例え急がなければならない時でも、安全を最優先に於いて行動したいものです。

 

とはいえ、まず「急ぐ」ということをなくすこと。これが私にとっては、今も昔も最大の目標であることに変わりはなさそうです。性格的な弱点もありますし、寝坊やダラダラなどの怠惰から生じることもあります。例えば、職場に行くにせよ、早めに行ってしまっては時間の損だ、それならもっと家でギリギリまで有意義なことをしよう、などと思うこともあります。そういう気持ちを改善することが急務なのかも知れません。

 

改善という意識を常に持ち、自らを高めていくこと。この意識が現代社会には常に求められています。

 

以上、今回、改めて自身を戒める意味でこちらの文章を投稿致しました。最後までお読みいただいてありがとうございます。当記事が何らかの参考になりましたら幸いです。